エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

ブログ記事の引用転載を希望される方は、https://l-library.hatenablog.com/about をご確認ください

『「サークルの時代」を読む  戦後文化運動への招待』

宇野田尚哉・川口隆行・坂口博・鳥羽耕史・中谷いずみ・道場親信 編(影書房/2016年12月/A5判並製366頁)

 1950年代、東アジアで朝鮮戦争はじめ再び“熱い戦争”が起きていた時代に、反戦・平和、抵抗と民主主義を模索する人びとの拠点として興った「サークル文化運動」の実践と希求の検証を、10回の合同研究によって練り上げた研究論文集である。論文9本、コラム11本、シンポジウム「サークル誌をどう読むか」の記録からなる。
1940年代後半、戦争から解放されて、詩・小説・ルポールタージュ・版画・幻灯などの創作を通じ、人びとは集い、話し合い、民主主義を創り出していった。朝鮮戦争を背景とする在日コリアンたちの運動も視野に入れつつ、1950年代を中心とした文化運動の多角的な再評価・再検証がなされている。

 まず驚嘆するのは、限定された地域や職場における埋もれた文化創作活動とサークル誌が、これほどまでに系統的に掘り起こされ、中には復刻版を刊行する営みも含めて、持続的な研究が蓄積されてきたことである。その研究の衝動力はどこからくるのか、この時代に抵抗と民主主義を紡ぎ出した人びとの生きざまと創作意欲に魅せられる書である。
 筑豊、東京南部、京浜、四日市の労働者、広島・長崎の被爆地、結核療養所、都心部の職場で培われたサークル文化運動、そして在日朝鮮人のサークル運動、さらに生活記録運動(生活綴方運動)における人びとの創作活動と主体の形成の分析など、多岐にわたる検証がなされていて、どのジャンルもその背景や思想を読み取るための入り口を示していて、どの論文ももっと突っ込んで学びたい意欲を駆り立てる。たとえば、東京南部(大田区・品川区・港区を含む湾岸エリア、目黒区を加える場合もある)は戦前から工業地帯で、労働運動が盛んな地域だが、戦後もそこで職場美術、自立演劇、文学、合唱(うたごえ)などの多様なサークル文化運動が展開されていて、本書では、「下丸子文化集団」を形成していた主体の人びとの分析と多様なサークルのネットワークの存在が検証されている。
 私自身の浅い体験に照らしても、これら1950年代のサークル文化活動を“サークル主義”というレッテルで過小評価、もしくは無視する「政治主義」的傾向が、50年代当時もそれ以後の60年安保闘争やベトナム反戦運動の高揚の時期にもあったように思う。だからこそ、本書による掘り起こしと検証の歴史的意義は極めて大きい。
 多彩なサークル文化運動がどのように組織されていったのか、「工作者」という言葉がいくつかの論文に出てきて、「産別会議」のサークル文化運動育成方針や、1955年「総評」が提唱した「国民文化会議」の全国ネットワーク化に果たした役割などの記述もあり、今後深めたいテーマだと思う。
 第2章「東アジアの『熱戦』とサークル運動――朝鮮戦争下の抵抗の経験」(黒川伊織)では、朝鮮戦争を他国の戦争、“朝鮮特需”の視点からしか捉えない一国主義的な日本の歴史認識に対し、「隣国の戦争」に日本が、神戸が、後方基地として加担していることを見抜き、それを阻止できないでいることに対する痛みと在日朝鮮人に対する連帯感を抱いていた人びとの存在(本章では4名を紹介)は、後のベトナム反戦運動の思想的・人的源流となったという検証がなされ、示唆に富んでいる。一般的には、戦後日本の平和運動は被害の視点からであって、戦争・侵略への加害の視点から起ちあがるのは、ベトナム反戦運動からとされているからである。
 また、第8章では、生活記録運動の先行研究が整理されていて、1950年代半ばの母親運動や原水禁署名運動の担い手を生み出していったと同時に、その後のウーマンリヴ運動を経た今日的意識から、これらの運動が「既存秩序の強化」(=ジェンダー的役割を前提とした)という視点から検証する必要性を提起しているのも興味深い(中谷いずみ)。     
 最後の第10章の「シンポジウム サークル誌をどう読むか」の記録は、12名の発題者・問題提起者が、各章やコラムの執筆の意図を鋭い問題意識で提起していて、各章を読み直したい衝動に駆られる、圧巻である。
 このシンポの司会を担当して終始討論をリードし、本書刊行の重要なイニシャチブを発揮されたと思われる道場親信氏が、2016年9月に急逝されたことを、「痛切きわまりない出来事」として「あとがき」で知って、まさにいのちを削ってのご労作であったことを、思い知らされた(本書の刊行は2016年12月)。
 巻末の「引用・参考文献一覧」「戦後サークル文化運動略年表」も、学習の手引きとしてより突っ込んで学びたい人への貴重な道案内である。(伍賀偕子:元・関西女の労働問題研究会代表)
 

ライブラリー・オブ・ザ・イヤー2016受賞イベントを開催

<2016.2.3 最下部に追記あり>
 1月21日(土)、先進的な活動を行う図書館などを表彰する「Library of the Year 2016」を受賞した伊丹市図書館「ことば蔵」と当エル・ライブラリーによる合同記念トークイベントを開催しました。
 このイベントは4部形式で、第1部のエル・ライブラリー見学会(4名参加)に始まり、伊丹に移動してことば蔵での見学会・トークイベント(50名)と続き、締めは長寿蔵での祝賀会(20名)、最後に二次会のおまけまでついておりました。

 同賞選考委員である井上昌彦さん関西学院大学神戸三田キャンパス図書メディア館)が進行役を務め、ことば蔵の運営に携わる伊丹市民に加え、優秀賞を受賞した東京学芸大学学校図書館運営専門委員会の中山美由紀さんが急遽登壇し、ことば蔵の綾野昌幸園長と谷合が加わって、「市民とともに歩むこれからの図書館」をテーマにシンポジウムを開催しました。

 このイベントに先立ち、エフエムいたみでは番組の中で広報していただきました。その収録の動画はこちら。http://www.itami.fm/movie/embedplayer.php?eid=01484

 シンポジウムに先立ち、ことば蔵の小寺和輝さんがことば蔵の紹介をプレゼン。続いて谷合がエル・ライブラリーの紹介を。ともに制限時間を超えて熱弁を振るってしまいました。小寺さんはパネリストの市民から「こてらぐら」と呼ばれるほど、ことば蔵にはなくてはならない存在で、今回のイベントも小寺さんがほとんどをお膳立てしてくださり、大変なスピード感でグイグイと前に進んでいく様子が小気味よかったです。
 
 当日飛び入り参加の中山美由紀さんは東京からお越しで、学校図書館公共図書館の連携をことば蔵の綾野園長に呼び掛けていました。市民のみなさんの積極的な発言には、普段の運営会議の様子が垣間見える思いがしました。伊丹の市民力の高さには脱帽しました。

 トークイベントは「Twitter推奨」とのことだったので、参加者が何人かつぶやいています。そのまとめを井上昌彦さんが作ってくださいました。
https://togetter.com/li/1072806

 イベントの報告とたくさんの写真が掲載されている、ことば蔵日記はこちら。
http://www.city.itami.lg.jp/SOSIKI/EDSHOGAI/EDLIB/event/diary/h29_01/1485075775573.html

 ことば蔵のみなさん、井上昌彦さん、ご参加くださった市民のみなさま、ありがとうございました。これからも先進的な取り組みをする図書館を増やし、図書館界全体の底上げ、交流を図っていきたいです。

 なお、このイベントに続き、3月にも共同ベントを開催すべく、ただいま企画中です。詳細が決まり次第、お知らせします。(谷合)

<2016.2.3追記>
 「ことば蔵日記」に、当日会場から出された質問への回答が掲載されました。エル・ライブラリーへの質問は2つ。「資料の所蔵スペースが無く なったときの保管・管理方法」「今考えている新しい取組」です。当館からの回答はこちらに。
http://www.city.itami.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/82/20170121kaitou.pdf

新着雑誌です(2017.1.27)

今週の新着雑誌です。
新着雑誌は閲覧のみです。貸出はできません。
労政時報 3923号 2017.1.13・27 (201280047)
賃金事情 No2732 2017.1.5・20 (201279908)
労務事情 No1332 2017.1.15 (201279841)
企業と人材 No1047 2017.1.5 (201280013)
人事マネジメント 313号 2017.1.5 (201279965)
労働経済判例速報 2295号 2017.1.10 (201279866)
労働経済判例速報 2296号 2017.1.20 (201279890)
労働法学研究会報 No2634 2016.12.1 (201279775)
労働法学研究会報 No2635 2016.12.15 (201279809)
労働法学研究会報 No2636 2017.1.1 (201279833)
労働法学研究会報 No2637 2017.1.15 (201279973)
労働法令通信 No2438 2016.12.18 (201279924)
労働法令通信 No2439 2016.12.28 (201279957)
労働法令通信 No2440 2017.1.8・18 (201279981)
労働法令通信 No2441 2017.1.28 (201279783)
季刊労働法 255号 2016.12.15 (201279817)
賃金と社会保障 1671号 2013.12.10 (201280005)
月刊人事実務 No335 2016.12.25 (201279874)
賃金と社会保障 1672号 2016.12.25 (201279932)
労働基準広報 No1909 2016.12.11 (201279999)
労働基準広報 No1910 2016.12.21 (201279791)
労働基準広報 No1911 2017.1.1・11 (201279825)
労働基準広報 No1912 2017.1.21 (201279858)
旬刊福利厚生 No2213 2016.12.13 (201279882)
旬刊福利厚生 No2214 2016.12.27 (201279916)
旬刊福利厚生 No2215 2017.1.10 (201279940)

詳細な目次はこちら

続きを読む

名取市における 東日本大震災の概要


名取市における 東日本大震災の概要』名取市総務部震災記録室 編集(宮城県名取市/2015年3月/A4版 118p)
東日本大震災 名取市の記録』名取市総務部震災記録室 編集(宮城県名取市/2014年10月/A4版 400p)
(右の写真は本書とともに出版されたDVD。「震災を語り継ぐ人々」というDVDも合わせて発刊)

 名取市は、仙台市の南東に隣接する人口約7万3500人(被災年の2月末)の市である。東西に長い長方形をなしているが東端は海岸であり、東日本大震災においては地震に加えて津波の激しい被害にあった。今回紹介する2冊の本は、名取市における東日本大震災の記録であり、ともに公式記録、写真、個人の寄稿などを含む包括的で、放射能汚染の記述が少ないこと以外はバランスの取れたものとなっている。

 『名取市における 東日本大震災の概要』(以下、『概要』)は比較的コンパクトで写真が中心なのに対し、『東日本大震災 名取市の記録』(以下、『記録』)は地震津波の一般理論から、東日本大震災のメカニズム、被害状況、各部門の応急対応、復旧、復興までよりいっそう包括的な記録である。また、表・図・写真・個人の体験文などが適宜に組み込まれ、文とビジュアルな要素、キチッとした記録と生きた体験が組み合わされ、すぐれた資料集となっている。とりわけ、写真や体験文は6年たった今でも心に響き、図表や文章は時を経てしっかりした認識を与えてくれている。

続きを読む

新着雑誌です(2017.1.20)

今週の新着雑誌です。
新着雑誌は閲覧のみです。貸出はできません。
労務事情 No1131 2016.12.15 (201270071)
賃金事情 No2731 2016.12.20 (201269982)
人事実務 No1167 2016.12.1 (201270014)
人事実務 No1168 2017.1.1 (201270048)
労働判例 No1144 2016.12.15(201270154)
ビジネスガイド 54巻1号 2017.1.10 (201270105)
ビジネスガイド 834号 2017.2.10 (201270139)
労働判例 No1145 2017.1.1.・15 (201269958)
労働経済判例速報 2293号 2016.12.10.20 (201270097)
労働経済判例速報 2294号 2017.12.30 (201270121)
労働法律旬報 1878号 2016.12.25 (201270162)
月刊人事労務 334号 2016.11.25 (201270063)

詳細な目次はこちら

続きを読む

『日本における社会改良主義の近現代像 ―生存への希求』

 玉井金五・杉田菜穂著(法律文化社/2016年11月/A5判292頁)

 本書は、人口・社会問題を軸に、戦前戦後における社会改良主義の学問的鉱脈を丁寧に探索して現代と対峙する、社会政策論の体系的な専門書である。11の章と2つの補章から構成されているが、それぞれが独立の共同執筆論文なので、専門書は苦手でも、関心のある部分から読み始めても、本書の前提となる方法論に到達できる。

 書名の「社会改良主義」については、新自由主義に対して社会民主主義的見解が対置されるが、1897年発足の社会政策学会は、その学会趣意書(1900年策定)において、「社会改良主義」を標榜してきたし、実際の日本の政策・制度は中間的な社会改良主義的な考えに基づいて運営されているのだから、その中身を厳密に精査して現代的課題に立ち向かいたいというのが、本書の立場である。改良志向の社会政策という分野で論陣を張った者を中心に光をあてている。思想・学説と政策・制度の間の距離を見極めつつも、その密接な関係性を、日本の社会政策の歩みとして丁寧に検証している。

 日本社会政策論の系譜は、<経済学>系と<社会学>系に分類され、<経済学>系の象徴とも言うべき大河内一男の社会政策論が、労使関係や労働問題を軸にした研究に大きく影響を与えたことは周知のことであり、本書で改めてその影響の広さ・深さを学ぶことができる。だが、本書では、これまでの社会政策論史において論及が少なかった<社会学>系社会政策論が果たしてきた役割を戦前まで遡って発掘して再定置することに重点を置いている。その過程は、「人口問題と社会政策」の系譜とも言いかえられるとしている。

 目次を以下に全部記載するのは、本書がいかに体系的に構成されているか、個別には知られている研究者が日本社会政策論史においてどのような系譜に位置づくのかがわかって読みたくなると思うからである。例えば、筆者の関心から言えば、森本厚吉の消費経済論が、どのように位置づいているのか、家政学ジェンダー研究において、欠かすことのできない先駆者の一人であったことが理解できた。(伍賀偕子・元「関西女の労働問題研究会」代表)

目次
 序章 社会政策と現代の対話 課題と方法
 第1部 社会政策と分析視座
第1章 日本社会政策論の系譜 <経済学>系と<社会学>系
第2章 <社会学>系社会政策社会保障社会福祉 福武直の世界
第3章 社会政策と厚生経済論の交差 福田徳三と大河内一男
第4章 日本社会政策思想の潮流 <市場>経済と<非市場>経済
 第2部 社会政策と生命・生活
    第5章 1910〜20年代の日本進歩主義者の群像  「救貧」から「防貧」へ
    第6章 戦前日本の社会政策と家政・生活問題 森本厚吉の消費経済論
    第7章 日本における<都市>社会政策論 山口正と磯村英一
第3部 社会政策と人口問題
   第8章 人口問題と日本社会政策論史 南亮三郎の位相
   第9章 人口の<量>・<質>概念の系譜 上田貞次郎と美濃口時次郎
   第10章 戦前から戦後における人口資質概念の史的展開
   第11章 人口抑制から社会保障へ 人口認識の形成過程
終章  人口・社会問題のなかの社会政策 結びと展望
補章1 戦後日本における社会開発論の生誕
補章2 日本社会保険制度史と近藤文二

  

『女工哀史』と猪名川 ― 名著は兵庫県で書かれた(2)

 前回は、どうして「能勢の山中」が多田村だったのかという所まででした。
今回はその謎を解き明かします。

 (下の写真は猪名川染織所の登記地番の現景

  工場は、ここから右(西)側にかけて広がり、多田神社参詣道をはさんで事務所・寄宿舎・寮・売店などが並んでいたと思われる)

f:id:l-library:20161122131759j:plain

 しかし、『女工哀史』の本文には、「大阪の大資本家喜多又蔵氏の経営にかかる兵庫県猪名川染織所」という名が何ヶ所かに出てきます。そして、たとえば労働者の住居の様子について、「表面だけ二十六畳部屋に定員二十二人としておき、その実三十三人まで入れてゐる。こうなるともう入れるのではなくして無理矢理に押し込むのだ。全く足の踏み入れ処が無い。其の上此処はまた一つの部屋の配置については棟々を「松の寮」、「竹の寮」、「梅の寮」とか「何分舎」とか称え、部屋は「何十何号」と呼ぶ」といった具合に、実に見ていなければわからないことを記述しているのです。

わたしは、この「猪名川染織所」というのが本人たちの働く工場であり、またそのそばの住まいで『女工哀史』を執筆していたと目星を立てていたのですが、決め手がありませんでした。なにより、『川西市史』にこのような名前の工場の記録が全く出てきていないのです。川西村を川西町へという村議会の議案書の中には紡織関係として「大阪織物株式会社猪名川分工場」というのが出てきますが、名前がどうもあいません。しかもこれは、阪急の能勢口駅と官有鉄道の池田駅を中心に都市化し始めている川西村所在の工場です。

また、最近岩波文庫から出版された細井和喜蔵の妻だった高井としをの『わたしの「女工哀史」』は、この間の出来事を詳細に語っていて、たいへん分かりやすいのですが、そこには「兵庫県猪名川の上流の多田村にあった猪名川製織所へ入社した」とあって、「猪名川染織所」とはなっていません。しかも、この名前の会社も『川西市史』には出てきていないのです。

ただ、多田村という村名が出てきたのは、この本が最初です。間違いなく現在の川西市内にあった工場です。しかも、能勢口駅から能勢電車に乗っていくので、よそから来た人には「能勢の山中」といっても差し支えはありません。これは大きなヒントになると思いました。そこで、念のためにと考えてネットで「猪名川染織所」を検索してみました。そうすると、大原社会問題研究所の所蔵する労働争議に関する調査資料の中に「猪名川染織所」の労働争議調査表が出てきて、手書きのメモで「兵庫県川辺郡多田村」と記入されています。争議発生時期は大正十五年となっています。また、ネットにはもう一つ、『官報』が掲載されており、第四三〇二号(大正一五年一二月二四日)に内務省告「第二三九号」で健康保険組合の設立を認可しているのです。それが喜多合名会社(大阪市西区江戸堀南通二丁目十三番地)で、組合の名称「猪名川染織所健康保険組合」、事務所の所在地「兵庫県川辺郡多田村新田字下川原二百六十二番地ノ一」となっています。なお、この健康保険組合解散についても官報があり、昭和七年七月一日であることが明示されています。まさしく、細井和喜蔵が『女工哀史』本文で何度か紹介している大阪の資本家喜多又蔵の会社「猪名川染織所」そのものです。だから、もうこれに間違いないと考えられるようになったわけです。高井としをが「猪名川製織所」と記載しているのは「猪名川染織所」の勘違いだったというべきです。なにしろ、一九八〇年という相当後年になって記述された自伝ですから、間違ったとしても無理はないと思います。むしろ、よく似た名前を五七年ものあいだ覚えていたことの方に驚きます。それだけ、思い出も深いものがあったのでしょう。(つづく)

<著者・小田康徳>

 1946年生まれ。大阪電気通信大学名誉教授。NPO法人旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会理事長。あおぞら財団付属西淀川・公害と環境資料館館長。主な著作は『近代日本の公害問題―史的形成過程の研究』・『歴史に灯りを』など。『新修池田市史』など自治体史にも多数関係している。川西市在住。