エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

ブログ記事の引用転載を希望される方は、https://l-library.hatenablog.com/about をご確認ください

「炭鉱の記憶と関西―三池炭鉱閉山20年展」図録

2017年に開催した「炭鉱の記憶と関西―三池炭鉱閉山20年展」の図録です。

f:id:l-library:20180717134512j:plain

炭鉱の記憶と関西 : 三池炭鉱閉山20年展

 大阪産業労働資料館, 関西・炭鉱と記憶の会編

 関西大学経済・政治研究所, 2017.3 166p

 

図録についてはエル・ライブラリー(06-6947-7722)までお問合せください(残部あり)。

 

目次はこちら

続きを読む

新着雑誌です(2018.7.13)

今週の新着雑誌です。

新着雑誌のうち、最新のものは貸出できません。閲覧のみです。

労政時報 3954号 2018.7.13 (201314069)

ビジネスガイド No858 2018.8.10 (201313863)

賃金事情 No2765 2018.7.5 (201313889)

企業と人材 No1065 2018.7.5 (2.01313913)

人事実務 No1186 2018.7.1 (201313699)

月刊人事マネジメント 331号 2018.7.5 (201313947)

労働経済判例速報 2345号 2018.6.30 (201313723)

労働法学研究会報 No2672 2018.7.1 (201313855)

労働法律旬報 1914号 2018.6.25 (201313897)

労働基準広報 No1963 2018.7.1 (201313970)

労働基準広報 No1964 2018.7.11 (201314002)

 

詳細な目次はこちら

続きを読む

『教科書をタダにした闘い 高知県長浜の教科書無償運動』

村越良子、吉田文茂著 (解放出版社/2017年11月/四六判300頁)

f:id:l-library:20180709093139p:plain

 現在、小中学校の児童生徒には、毎年新しい教科書が無料で配布される。教科書は文科省が作製した紙袋に入れられ、「保護者の皆さまへ」と題して、「この教科書は、義務教育の児童・生徒に対し、国が無償で配布しているものです。この教科書無償給与制度は、憲法に掲げる義務教育無償の精神をより広く実現するものとして、次代をになう子どもたちに対し、我が国の繁栄と福祉に貢献してほしいという国民全体の願いをこめて、その負担によって実施されています(後略)」と呼びかけられている。

 教科書・教育費無償化を迫る運動は戦前から取り組まれ、戦後は各地で多様に展開されたが、歴史的、決定的な闘いは高知県長浜の教科書無償運動(1961年~63年)とされている。本書は、義務教育学校の教科書をタダにさせること(今では当たり前のようになっている)を国に制度化させた高知県長浜の闘いを、運動当事者の回顧と資料・文献・新聞報道等によって掘り起こした、歴史的な書である。内容の多くは、すでに雑誌『部落解放』702号~725号(2014年12月~2016年5月)に連載されているが、今回新たに発見された資料の検証を加えて、より幅広い人たちに向けて単行本として発刊された。

 著者の村越良子は、「長浜地区小中学校教科書をタダにする会」の発足時からの事務局員で、この運動の真っただ中にいた当事者であり(当時は岩松良子、現在は大阪市在住)、吉田文茂(ふみよし)高知市史編纂委員会近現代部会員で、高知県をフィールドとする部落解放運動史、社会運動史などの著書・論文を多く発表している歴史学者

 教科書無償運動の発祥の地=長浜は、高知市の南方に広がる地域で、町政施行を経て、高知市長浜となって、今に至っている。長浜には、被差別部落の原部落(通称「南部地区」)があり、長浜全体の人口の三分の一弱を占める半農半漁の漁村だった。仕事に恵まれず、多くは失業対策事業で働き、その日当は300円、教科書代は小学校で当時約700円、中学校は約1200円で、毎年3月は新学期への工面が大変だった(部落解放同盟中央本部「部落問題資料室」教科書無償闘争より)。1961(昭和36)年2月部落解放同盟長浜支部は教科書無償要求について論議し、教科書の不買運動を決定した。同時に第1回南区教育研究集会に提案して合意を形成した。この合意形成のスタートは、教員と地区の母親たちの学習会(塩谷学習グループ=勤評闘争の中で誕生した女性の読書会グループ)で、憲法26条2項に、「義務教育はこれを無償とする」ことが明記されていることを学び、権利意識に目覚めたことによると記されている。

 同年3月には、「長浜地区小中学校教科書をタダにする会」が結成される。第1回打ち合わせメモ(当時の岩松事務局員メモ)によると、構成団体は、落解放同盟長浜支部、南区民協、南区子どもを守る婦人の集い、市教組長浜分会、全日自労長浜分会、地区労で、後援を解放同盟市協と市教組に依頼するとされている。(この岩松メモは今回新しく発見された)

 なお、前年の1960年11月に高知市で開催された第6回四国母親と女教師の会では、教科書無償要求請願署名運動が提起されている。急速に地域の共闘が形成される背景には、高知県でも激しく闘われた日教組の勤評闘争を支援する地域共闘が、この地にその芽を育んでいたことが推測できる。

 長浜の父母たちは、ただちに市長、市議会、市教委に対して大衆交渉で迫り、その要求の正当性と迫力で事態を動かしていく。高知市議会は、小中学校の教科書を無償にするよう、内閣総理大臣や文部大臣あての意見書を決議して提出した。憲法を守る闘いへの確信に満ちた母親たちのゲタばき・割烹着姿の交渉の迫力は、行間からうかがえる。教科書不買の現地の意志は、数々の切り崩し(部落解放同盟と地区外との対立を助長する)を超えて、新学期から1カ月過ぎても崩れず、教科書なしをプリント授業で補う教員たちとそれを全体で支援する市教組の闘いが続いた。全校生徒のほぼ4分の1が無償になったのを機に1961年の闘いはひとまず収束し、62年63年も取組みが重ねられた。憲法26条を守る大義名分に国会も動かざるを得ず、63年12月に「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」が成立した。四国の一地域の運動が一点突破、国の制度化を実現させたのである。本書は、その高揚感を謳いあげるのではなく、あくまで文献や資料にもとづいて検証する姿勢を貫いていて、多くの人々に伝承したい書である。

 ちなみに、高知市立南海中学校には、「教科書無償運動常設パネル展示室」が設けられ、「教科書無償発祥の地」の運動を保存公開している。大阪でも「栄小学校だより」№2(2018年4/11)に、「新しい教科書に込められた思い」として長浜の闘いを紹介し、「無償の教科書は、真剣に子どもの将来と向き合った大人たちの成果であることを心に刻みたいものです」と結んでいる。冒頭にあげた文科省の紙袋に書かれた内容と比較して、民衆の力を伝承したいものである。(伍賀偕子 ごか・ともこ 元「関西女の労働問題研究会」代表)

『打倒安倍政権 9条改憲阻止のために』

 五十嵐仁(いがらし じん) 著(学習の友社/2018年4月/161頁)

 ãæåå®åæ¿æ¨© äºååµä»ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

 著者が学習の友社から上梓した政治学習のためのテキスト第3弾に当たる。つまり、同じテーマで三度目の出版になるということなのだから、事態は改善していないと見るべきなのだろうか。著者自身も「本書をもって最後の作品にしたいものです。もう良いでしょう」と「はしがき」で述べている。

 さて、これまでの「シリーズ」のタイトルは以下の通りだ。

「対決安倍政権」2015年3月

「活路は共闘にあり」2017年2月

 本書の内容はこれまでの著作と一部重複しつつも、2017年からの1年余りの間に起きた政治状況の大きな動きをとらえて、安倍政権が目指している「憲法9条の改憲」を阻止するためにはどう考え何をすべきかを訴えている。

 そのための現状分析が述べられており、とりわけ第1章に置かれた、2017年10月の総選挙結果の分析が興味深い。今回も与党は小選挙区制度に守られて、得票率ではさしたる変化もなく過半数も獲得していないのにも関わらず「圧勝」と言われた、と指摘する。同様の指摘は前書でもなされていた。有権者総数に占める自民党の得票率は25パーセントに過ぎないと。

 この1章にはこの間の合従連衡というか四分五裂と言うべきか新党乱立の動きが激しくわかりにくい読者にとって、「日本の主な政党の変遷(1990年代以降)」という系統図がついているのがありがたい。たった20年ほどの間に生まれた政党について、記憶にないものも多いことに驚く。

 第3章「安倍9条改憲をめぐる新たな攻防」は前書と重複する部分だが、よりいっそう叙述が豊かになった。改憲派というのは、必ずしも9条改憲論者だけではないという点が強調されており、「改憲」と「壊憲」は違うということが繰り返し述べられている。そして、2017年10月の総選挙によって改憲の動きは新たな段階に入ったという。すなわち、自民党はこの選挙で「憲法改正」を重点項目として挙げてきたのである。いよいよ9条改正に向けて 自民党政権がスピードアップを図っているので、改憲阻止のためには、改憲に伴う膨大なエネルギーや公金が無駄であり、それよりも「経済の立て直しと景気回復こそ最優先で取り組むべき課題」だと声を大にして訴えなければならない。大企業は利益を拡大しているが、一方で実質賃金の低下は4年間続いており、格差が広がっている。 と、具体的な数字を挙げて著者は生活最優先の課題に取り組むべきだと主張している。また、憲法9条を変えることによって自衛隊が戦争できる軍隊になれば、戦死者が出るのは必至であり、それについては過去のベトナム戦争イラク戦争での戦死者数の統計を引用して、日本が犠牲者を出さずに済んだのは9条があるからだと説明している。

 第4章では2017年7月の都議選の結果を分析し、安倍政権への批判が自民党敗北の大きな要因の一つであるとしている。森友加計問題にも言及しているがそこはさらっと経過をさらえる程度とし、あとは豊田真由子議員や稲田朋美防衛相などのスキャンダルについて言及して、安倍政権の体質が自分に近いものを優遇する「えこひいき」であることを糾弾している。

 第5章は安倍政権の軌跡を外交・基地問題から振り返っているが、なにぶんにも紙幅が限られているので概観にとどまる。

 本書は161頁というコンパクトなものであり、学習テキストとしてわかりやすさと読みやすさを旨として編集されており、さらに各章をそれぞれ独立して読んでも困らないようになっているので、学習会に使うのに適している。 

 巻末に細川孝・龍谷大学教授による著者へのインタビューあり。(谷合佳代子)

新着雑誌です(2018.6.29)

今週の新着雑誌です。

新着雑誌のうち最新のものは貸出できません。閲覧のみです。

労政時報 3953号 2018.6.22 (201313822)

賃金事情 No2764 2018.6.20 (201313715)

労働基準広報 No1962 2018.6.21 (201313624)

労働法令通信 No2489 2018.6.18 (201313657)

労働法学研究会報 No2671 2018.6.15 (201313806)

 

詳細な目次はこちら

続きを読む

『水俣を伝えたジャーナリストたち』

著者:平野恵嗣 2017年6月 岩波書店

f:id:l-library:20180620135012p:plain 

 1954年8月1日、『熊本日日新聞』は「水俣市の漁業集落で猫が狂ったようにキリキリ舞って死んでしまう」との記事を載せた。それから2年後の1956年5月1日、チッソ附属病院が水俣保健所に「脳疾患症状患者発生」を報告した。水俣病発生の公式確認である。

 本書は、水俣病の経過をフォローするジャーナリストが患者、チッソの圧力に屈しなかった医者、学者から見聞きして、彼らが一過性で終わることなく、どのように真実と向き合おうとしたことをまとめたものである。

 ここで取り上げられた人々の水俣へのアプローチの動機はさまざまである。「水俣を撮って写真家になりたかった」桑原史成は半世紀以上「傍観者」として関わった。とはいえ、1962年にチッソ附属病院で宇井純ともに「ネコ400号実験」と呼ばれる細川病院長作成の記録を撮影、入手していた。松岡洋之助は一個人として被害者支援に徹したNHKのディレクターだった。同じNHKの宮澤信雄は上記の「ネコ実験」の公表に衝撃をうけ、熊本転勤後被害者側に立つ報道を貫いた。熊本日日新聞の記者、久野啓介は1936年生まれの自分が「水俣病問題」と出会うことによって、戦前の思想を清算していった。写真家のユージン・スミスは「客観性などというものは存在しない」という姿勢で「母子像」を撮影した。その助手、石川武志は30年以上経て水俣を再訪、2009年に以前取材した胎児性患者たちを、できるだけ以前と同じ場所で撮影しようと試みた。

 朝日新聞社の増子義久は高校野球の観戦にきていた三池炭鉱のCO中毒患者の存在から水俣病にさきがけ、三池炭鉱事故の被害者支援にかかわっていた熊本大学原田正純に出会う。そのことからどの現場にも通底する事実を原田の助言を信頼して記事にしていった。熊本放送の村上雅通は水俣生まれゆえに水俣病を避けてきたが、1995年の「水俣病の政治決着」の1年後から水俣に入り、人生の空白を埋める取材を進めた。その意志を引き継いだ井上佳子は1983年入社当初はアナウンサーだったが、5年後に記者へ配置転換されて以後、恵楓園のハンセン病の取材からスタートして未認定患者の公的救済に奔走する佐藤英樹、川本輝男両氏の取材を中心に継続的に水俣を描いていった。

 この本は、水俣病問題そのものでなく、それを伝えてきた記者、写真家などジャーナリストを描いたものである。この点で言えば、ジャーナリズムは組織ではなく個であるということを感じる。メディアは個人の集まりなのである。

 また、ユージン・スミスのことばの繰り返しになるが、公正中立というのは当事者に目配りをしながら「バランスのよい」報道をすることではないのである。企業や国が住民をないがしろにしている問題に対して、ジャーナリスト、いわんや芸術家、学者がどういう立場でかかわるべきかを、この本は問題提起している。(森井雅人)