エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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シカゴ便り

 ただいま館長はシカゴにいます。「シカゴ労働運動史調査団」の団長として北米訪問にでかけているからです。

 今年はメーデー第80回記念の年にあたり、連合大阪代表とともにメーデー発祥の地であるシカゴを訪問し、「イリノイ労働史協会」の資料室を見学、また、シカゴの労働史跡を巡り、労働組合との交流もはかります。

 その後、デトロイトに足を伸ばしてミシガン州立ウェイン大学ルーサー図書館で労働運動関係資料室を見学します。デトロイトではフォードの工場見学やフォード博物館へも行きます。

シカゴはオバマ大統領の活動拠点でもあり、アメリカ労働運動のメッカです。またデトロイトは厳しい経営状況にある自動車会社3社の本社が位置し、全米自動車労組UAW)本部がある街でもあり、まさに焦眉の経済・社会・政治状況の注目を集める場所です(注:正確にはデトロイトに本社があるのはゼネラル・モーターズ社だけですが、フォードとクライスラーも近郊にあります)。

 今回の北米調査は2年前からの計画でしたが、今年度、当協会は大阪府からの委託金と補助金を失い、財政危機にあります。このシカゴ行も実施が危ぶまれましたが、2年前から計画してそのための予算も積み立ててきました。危機にあってこそ前向きに新しい事業に取り組みたいと決意し、敢行します。

 今日はイリノイ労働史協会のラリー・スピヴァク会長の案内で、シカゴの労働運動史巡りをしてきました。
  ※イリノイ労働史協会のサイトはこちらhttp://www.kentlaw.edu/ilhs/
 
 まずはイリノイ労働史協会の事務所へ行き、初代会長のレスリー・オーリアさんにシカゴの労働運動とメーデー発祥の起源である「ヘイマーケット事件」についてレクチャーを受けました。オーリアさんは現在は退職されて、ボランティアで協会の仕事を請け負っておられます。かなりのご高齢と見受けましたが、記憶もしっかりして、話し始めるといくらでも喜んでレクチャーしてくださいます。後から聞いた話では、オーリア元会長は97歳だそうで、びっくりしました。


(上の写真はヘイマーケット広場跡に建つ記念像。イリノイ労働史協会提供)
 ヘイマーケット事件は、1886年5月4日に起こりました。そもそもの発端は、5月1日にシカゴの労働者たちが1日8時間労働制を求めて行ったゼネスト(ゼネラルストライキ=総罷業)です。世界的に有名となり、歴史の教科書にも載っている、メーデーの由来となるストライキです。当時の労働者たちは1日12時間から14時間に及ぶ長時間労働を強いられていました。過酷な労働に対して8時間労働制を求めた労働者たちの闘いがシカゴで沸き起こったのです。

 5月1日のゼネストのあと、3日に警官によるスト弾圧のため、労働者数人が死亡しました。そのため、労働者たちは4日夜に抗議集会を企画しました。労働者たちの平和な集会に対して、警察官が大勢配備され、さらにその警官に向かって何者かが爆弾を投げたために、あたり一面はたちまち修羅場と化しました。爆弾によって死んだ警官は1名でしたが、警官たちが闇雲に銃を乱射したため、仲間どうしでの相撃ちが起こり、結局数人の警官と多数の労働者に死傷者がでました。これが「ヘイマーケットの暴動」と呼ばれた事件です。その後、爆弾犯として8人のアナーキストが逮捕され、そのうち5人が死刑判決を受け、うち4人が絞首刑、1人が拘置所内で謀殺(自殺と報道されたけれど、他殺の疑いが濃厚)されました。今日では被告全員が冤罪であることが明らかにされています。

(上の写真はフォレスト・パーク墓地に建つ記念碑。イリノイ労働史協会提供)

 そのヘイマーケット事件の犠牲者たちを追悼する彫像が事件の跡地に建立されたのは2004年のことです。シカゴ郊外の墓地の一角に、ヘイマーケット事件の刑死者たちを顕彰する記念碑が建てられたのが1997年。今日は、雪の積もるシカゴ市内でこの二つの場所を始めとする労働運動の史跡をたどりました。詳報は後日写真つきで。

 なお、4月に開催する「労働者の歴史展」のシカゴ労働組合特集コーナーで皆様に今回の調査結果を報告します。