エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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本日最終日です!

第80回メーデー記念展示会「働く人々の歴史展」も本日でとうとう最終日になりました。

ご紹介が最後になってしまいましたが、もともと図書館である当館の一番の得意分野、文献・原資料類で構成したコーナー(の一部分)です。


メーデーは8時間労働制をスローガンに掲げて始まりました。
日本で8時間制労働を権利として得られるのは戦後、労働基準法ができてからでした。

日本で最初にメーデーが行われた1920年ころの状況、そして労働者の自由移動が禁止される戦時統制期、戦後、労働基準法が制定されながらも依然として侵害される労働者の権利、などを資料から探ります。

各ケースごとにテーマを設けてあります。

1920年頃の労働事情〜1920(大正9)年〜
団体交渉権を求めて〜1921(大正10)年〜
国際労働機関(International Labour Organization)〜1919年設立〜
社会局の誕生〜1922(大正11)年〜
大阪労働学校〜1922(大正11)年-1937(昭和12)年〜
プロレタリア文学〜1921-34(大正10-昭和9)年〜
産業報国(産報)運動〜1938−45(昭和13−20)年〜
労働法の確立、労働条件の向上〜1945−56(昭和20−31)年
経済復興運動〜1946ー54(昭和21ー29)年


メーデーが1920(大正9)年に始まった背景には、米騒動や普選運動などの、いわゆる大正デモクラシーの潮流がありました。翌年には内務省に「社会局」(外局)が設置されます。「社会」という言葉自体が意味のある時代でした。
世論が政府を動かし、施策に反映する、という経緯がここからは読み取れます。

一方、労働基準法制定後も人権争議と言われた近江絹糸争議などが示すように、現実に法が遵守されるとは限りません。また、いまの労働状況、過労死に至るような長時間労働を見ても、ただ法律があるだけでは労働者の権利は守られません。


状況は変えていくことができるし、一方たやすく変えられてもしまう、それを資料を通して歴史に学び、今の私たちと未来の人々の歩む道筋を考えていきたい、という思いを込めた企画コーナーです。