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『「大矢知力(つとむ)さんを偲ぶ会」しおり』『大矢知力君を偲ぶ』

次代を紡ぐ伝記資料紹介

 (偲ぶ会呼びかけ準備委員会/私家版/2006年)

 2006年2月19日に行われた「大矢知力さんを偲ぶ会」のしおりと、呼びかけ人代表西口喜久男による、A4版11頁にわたる七五調の追悼詩「大矢知力君を偲ぶ」がセットで当日配布されている。

 大矢知力(1936-2005)は、大阪に生まれ、城東工業高校を卒業後、1954年電電公社大阪天満地区電話局機械課試用員として入局。この「試用員」制度については、1954年に2ヶ月間の「試用員」を経て9ヶ月以上勤務していた6名が解雇され、組織をあげて、大阪地裁に地位保全仮処分申請をし、組合費の臨時徴集(毎月2円)や行商カンパで6名の生活保障をしつつ、全電通中央本部あげての「試用員制度」そのものにメスをいれる「試用員法廷闘争」が取り組まれていた。1956年1月組合全面勝訴となり、地裁でも勝利、公社側の控訴によりたたかいは11年と長引いたが、和解勧告により、採用決定を実現するという、全電通労働運動史上においても歴史的なたたかいとなった。大矢知力は同期の友の復職をめざして奮闘し、その勝利が実現した当時、分会長であった。
 西口の追悼詩によれば、「この闘争の成果受け 見習社員協約結ばれて 長きに亘り後輩の 身分を守り続けたり 分会長たりし君 永く苦楽を共にせる 同期の友が復職を 小躍りしてこそ祝いけり」と。
 以来、大阪城東電話局から一度も転勤せず39年間、全電通運動(分会長30年)を誠実に担った。西口の追悼詩から、全電通運動の歴史的局面を分会役員・分会長として、先頭に立って闘いぬいた献身的な歩みが伺える。上部役員への推薦・説得に応じず、分会長を貫き、職住一致で、城東区蒲生に住み、総評城東鶴見地協、城北地区評、中央地区評の地域運動を担った。
 85年に同居の母を看取った後、富田林市に1人暮らしを始めた。終生独身で、文字通り「労働運動一筋に生き抜いた」生涯であった。
 西口いわく「吾が後輩乍らただただに 人間性・信念・人生を 尊敬し誇りとこそ思うなり」
組合運動だけでなく、分会でコーラスサークル「コンブリオ」結成に尽力し、全電通中支部としての支援もとりつけ、本人も共にコーラスに参加した。偲ぶ会には、今も続くこの「コンブリオ」が「鳩よ舞い上がれ・心騒ぐ青春の歌・川の流れのように」を披露している。大矢知が最も好んだ歌として、「しおり」にも掲載されている。偲ぶ言葉にも、この仲間が幾人か登場している。「コンブリオの30周年には元気に歌っていた声が昨日のように思い浮かんできます。そして最後の練習曲となった美空ひばりの『川の流れのように』・・・・しみじみと、いい歌だなあと言っていたのが忘れられません」と。
 歌が人の心を繋ぎ、鼓舞し、人生の襞に深く沁みいるのをあらためて感じ入った。

 総評運動の軸であった地域労働運動を地道に担ってきた行跡を讃えて、闘いを共にした広範な仲間からの追悼の言葉が寄せられている。しおりにそえて、呼びかけ人代表の西口喜久男の労作「大矢知力君を偲ぶ」は、共に闘った時代の出来事や全電通運動の歴史、その中での故人の姿勢が七五調で綴られている。総評運動と地域労働運動が形成してきた、戦後民主主義と労働運動の歩み、そのもとでの全電通運動の現場の息吹が見事に伝わる力作で、次世代の組合員に伝えたい、ぜひ読んでほしいと願う。(伍賀偕子)

<書誌情報>
大矢知力さんを偲ぶ会
<エル・ライブラリーが所蔵する関連資料>

  • 全電通近畿47年の歩み