馬場新一『行き交う人々』

 1年以上にわたって連載してきたこのシリーズも、今回で最終回を迎えます。エル・ライブラリーが所蔵する私家版伝記資料はまだまだありますが、また装い新たに再開する日までここでいったん終了します。本シリーズの執筆はほとんどすべて伍賀偕子さん(関西女の労働問題研究会代表で当館ボランティアスタッフ)に執筆していただきましたが、最後はエル・ライブラリー館長谷合が書きました。
 シリーズの掉尾(ちょうび)を飾る伝記は、今年6月に90歳を迎えられる馬場新一さんが2003年に出版された『行き交う人々』です。馬場さんは老いてなおお元気で、さすがはシベリア抑留を生き延びられた方だけあって、矍鑠たる姿は後進たちの敬服の的です。

 では、以下、本書の紹介を。


 馬場新一(1921-)は滋賀県生まれ。本書は馬場の旧著『道』(1983年)のうち、とくに軍隊時代の記述を大幅に加筆。著者が入隊から帰国までにたどった経路図など、図版が何枚も挿入されてかなり読みやすくなっている。戦友の手記など多くの資料を渉猟引用して書いたもので、資料的価値も前著に比べて格段に上がっている。
1942年1月、召集により第16師団砲兵隊に入隊、ただちに「満州」へ送られる。厳しい軍隊生活が詳細に描写され、「慰安所」の様子もさらりと描かれている。実戦経験のないまま45年8月9日を迎え、ソ連軍の捕虜となった。著者は日ソ開戦日を宣戦布告前の8月6日ではないかという説を披露している。
コスソモリスク捕虜収容所では「民主化運動」が展開され、著者はその運動を担った一人であった。作業班長、分団細胞長を経て委員会作業部の委員となっている。ラーゲリ(収容所)生活が4年3ヶ月という長期の部類に入る著者は、年々よくなる待遇のおかげと社会主義教育が行き届いたおかげか、ソ連に対して悪感情を抱くことがなかった。帰国の早い者ほどソ連に対する評価は厳しいという。抑留1年目の冬がもっとも辛く、この冬を越せない者が多かった。著者は反ソ感情を抱かず帰国したが、もちろんそうでない者もいる。スターリン批判後、「全面否定が事実なら、現ソ連政府や共産党は誤っているのではないかと思い、信じられなかった」という。
ラーゲリでの教育により社会主義思想を身につけた著者は、帰国後、日本電電公社に復職し、全電通全国電気通信労働組合)の役員となる。
戦後の全電通での労働運動の記述も前著より詳しくなっている。1949年12月、帰国後日をおかずに日本共産党に入党届けを出したが、党からは音信なく、入党は認められなかったようだ。「シベリア帰り」の入党は共産党にとって歓迎すべき時期を過ぎていたという。1950年2月神戸中央電報局に復職し、54年に全電通兵庫県支部結成と同時に書記長に就任、電電公社の合理化五ヵ年計画の対策に明け暮れた。前著と違って本書には著者がかかわった闘争の年代が書き込まれており、具体的な内容も説明されている。1959年兵庫県支部委員長、60年中央本部執行委員に就任して上京。中央本部では調査部で賃金・福祉部門を担当し、後、財政局長。日本社会党に入党。65年春闘ストの責めを負い、電電公社より停職12ヵ月の処分を受け、16万人訴訟を起こす。68年、全電通阪神支部結成、委員長として帰任。70年近畿地本書記長を経て74年同委員長。79年に大阪労働者住宅生活協同組合理事長に就任(91年辞任)、82年に全電通を辞す。ほかに大阪公労協議長、電通労連近畿地協議長などを歴任。(谷合佳代子)
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