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第2巻の誤記訂正

 当協会が編纂・発行している『大阪社会労働運動史』第2巻に誤りがありましたので、下記のように訂正いたします。(「誤」→「正」)

p.1353 下段小見出し「自助会の内訌と第三回大会」→「自助会の内訌と第五回大会」
p.1353 下段14行目 「第三回大会を開いた」→「第五回大会を開いた」

 上記の訂正に伴い、p.1355の

  • 前大会が「第三回」であるにもかかわらず「第六回」と銘打ったのは、忌まわしい三・一五事件の悪夢を払拭し…(以下略)

 の部分に整合性がないことになりますが、この部分は引き続き調査中で、分かり次第、記事に追記いたします。


 この誤記は大阪市在住の井東一太郎氏のご指摘により判明しました。井東氏によれば、何度も自助会の大会会場となった「九条青年会館」は「九条会館」の間違いではないかとのことですが(註)、当協会では確認できませんでした。井東氏には記して謝意を表します。

(註) 井東氏からは以下のようなメールを頂戴しています(原文のママ)。

大阪市電従業員自助会第6回大会
昭和4年2月7日 九条会館  「大阪市社会部調査書労働年報134巻163p」
          九条青年会館  「 大阪朝日新聞  2月7日付朝刊p9 」
          九条青年会館  「労働月報』95号(1929年3月号)p.12」(谷合様ご指摘の通りです)
九条会館と九条青年会館は同じとする確定する直接の証拠はありませんが、同じと推定する状況証拠はあります。
1.九条通3丁目に存在(大正11年12月完成 戦前の地図では当時の九条公園(正式に九条小公園だが、一般には九条公園と呼ばれていた。・・・・今の九条公園とは違う)
 戦前の市刊行物には間違った住所の記載がある。九条通2丁目 (これは2丁目と3丁目の境にあるから、)外に九条南通2丁目、3丁目になっているのがあるが、地図を見れば一目瞭然で九条通3丁目)
2 九条会館の名称  
大正14年4月以前は西区 以後昭和18年まで港区 それ以後西区〜現在
 港区九条で会館の名称は九条会館のみである。九条市民殿を九条市民館と誤記しているものがあるが、大阪市が建設した市民館には九条市民館はない。港市民館があるが、これは大正区にあって、大正区が港区の時代に立てられたものである。後に大正市民館になった。
九条市民殿は九条キリスト教会(今の九条教会ではない)が建設したもので九条南通2丁目にあった。(戦前の電話帳に九条市民殿で記載あり)
3.九条会館には九条青年団、九条衛生組合.、九条在郷軍人会などの団体が同居していたので、九条青年会館の名称の可能性あり、あるいは会館の使用で九条青年団の名義で申込みをされた場合九条青年会館の可能性もあり。
4九条会館を労働運動で使用された方がご存命でご記憶の方が2〜3名居られましたら、九条会館と九条青年会館の場所のご記憶があれば更に明確になるかもしれません。
5西九条青年会館は此花区であり、間違って九条青年会館としても、此花区西九条か此花区朝日橋通で記載するので、九条青年会館(此花区)とすれば西九条青年会館の間違いと思われる。西九条会館はなかったので、西九条会館(西区九条)と記載していると西区九条会館と誤記と思われる。
6大阪市公文書館でも管轄が不明で資料が探しつくせていません。

以上の推論から九条会館≒九条青年会館
でほぼ間違いないと考えます。
 井東