熊沢誠、西谷敏氏の講演会

 5月30日(木)、エルおおさかで、労働問題の泰斗であるお二人の新刊書発行を記念した講演会が開かれました。当日は216名収容の南館ホールが満席になる盛会ぶり。先生方のお話も、その後の主催団体から二名の弁護士が語られた内容も熱く、みな最後まで熱心に聞き入っていました。
 エル・ライブラリーで開講中の講座「大阪社会労働運動史」の受講生のおひとり、兵頭圭児さんが講演会のまとめと感想をFacebookに掲載されています。今回、特別にお願いして、転載させていただきました(右の写真も兵頭さん撮影)。

 お二人の新刊書は以下の通り。エル・ライブラリーで閲覧・複写・貸出可能です(貸出はサポート会員に限定)。


 関西を、いや、日本を代表する労使関係論、労働法の二人の碩学による講演会「労働運動の再生と復権を目指して」が、5月30日、民主法律協会・大阪労働者弁護団の主催でエル・おおさかで開かれた(以下、敬称略)。

 熊沢誠の報告は、著書『労働組合運動とは何か』の問題提起のエッセンスを伝えるものであった。労働者の日本型能力主義への取り込み、第2組合をつくりだす御用心性、このような日本に根深い「労労対立」をどのように乗り越えるかという問題意識なくして、労働運動の再生はないだろう。

 熊沢は同書のあとがきで、「『労働組合』と『ユニオン』は同義である」とし、「労働組合」を企業内組織として見放し、個別労働紛争の解決に奔走する「ユニオン」についてのみある種の期待を込めて語るのは視野狭窄である、と述べている。両者は二項的に対立・棲み分けがなされるようなものではない、という熊沢の指摘は、極めて重要だろう。

 西谷敏は、トーンとしては今日の登壇者の中でもっともペシミスティックであった。日本の労働運動が「①過度に裁判による解決に偏重し②法律・判例によりしばられ自粛しすぎ」という指摘は、以前、私が韓国の労働運動家から聞いた日本の運動についての所感と全く同じだ。法そのものを変えていくような運動をする必要がある。

 また西谷は、「労働法自体は、労働組合の諸活動を妨害したり促進したりするが、労働組合自体が活力を失っていれば、労働法にカンフル剤の役割を期待することはできない」と指摘。労働組合運動なくして労働法に期待するものは特にはない、というわけだ。

 また、奈良県労働員会の公益委員を10年以上務める西谷は(奈良県の労働者はなんとうらやましいことか!)、不当労働行為救済申立制度は現行は事実上最高裁までの5審制であり、使用者にとって不当労働行為は「やり得」、制度を改める必要、と述べる。まったく同感だ。あまりに解決まで時間がかかる。

 あわせて西谷は、労働組合が市民に嫌われるという異様な日本の現状について指摘。労働組合があまりに企業社会に縛られ、「健全な市民感覚」が身についていない。労働者は市民、市民は労働者、という感覚が日本には乏しく、組合バッシングのなかで、実際、日本の労働組合法は世界的にも先進的なのに、まったく有効に使えていないという現実。近い将来、労働組合法が改正され、団体交渉は企業内労組に限られ、コミュニティユニオンの団交権が奪われる可能性すらある、と指摘。運動がなければそれぐらい脆いのだ。

 あと、大阪労働者弁護団の在間秀和弁護士の指摘も重要だ。地域ユニオンが、「金銭解決型」をメインとする運動からいかに脱却するか、いかに運動を職場に根付かせるか。また、在間は労働法の知識の重要性を指摘。「問題を発見するための労働法」。労働法を知らなければ、理不尽な働かせ方をされても、何が問題なのかわからない。

 シンポの議論をまとめれば、労働法は一人ひとり知っておく必要がある、しかし、法に依存してはならず、法をより労働者のためになるように作り変えていく運動の力こそが重要である、というところだろうか。(兵頭圭児)