『塩花の木』

  • 塩花の木 / 金鎮淑(キムジンスク) 著;襄姈( ペ・ヨンミ)美・野木(のぎ)香(かおり)・友岡(ともおか)有(ゆ)希(き)訳. 耕文社 2013年11月

309日間のクレーン籠城と「希望のバス」が切り拓いた勝利の書

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 1960年韓国の江華島の貧しい農村に生まれた著者、キム・ジンスクは、新聞配達、バスの案内係などいくつもの仕事を経た後、1981年7月、大韓造船会社(現・韓進重工業)に入社し、初の女性溶接工として働きはじめる。死亡事故多発の劣悪な労働環境を変えるために、まず「御用組合」を変えようと立ちあがり、代議員選挙に出馬して当選し、「対共分室」*に連行され、86年に不当解雇される。(*警察庁保安捜査隊が設置した機関で、多数の民主化運動家が拷問を受けた)

 解雇撤回闘争を続ける過程で幾たびもの逮捕・弾圧を受けながら、民主労組指導委員として、釜山地域の労組結成・労働運動に力を傾注する。2010年末、韓進重工業が発表した400人の整理解雇に抗議し、2011年1月厳寒の85号クレーン(高さ35m)に上り、整理解雇撤回を訴え続けた。このたたかいを支援しようと、釜山にかけつけた1万人の労働者・市民による「希望のバス」が5次にわたって重ねられ、大きな社会的世論をつくり出し、政治と企業・財界を動かし、ついに309日間を経て、解雇を撤回させ、地上に降りた。
 本書は、この309日間のたたかいだけでなく、著者が働きはじめた頃から韓進重工業でのたたかいまでを通して、労働者の熱い正義と連帯に貫かれた、自伝的記録である。
 書名は、「朝礼の時間にずらりと列に並んで立っていると、おじさんたちの背中に一様に真っ白な塩の花が咲いていて・・まるで塩花の木のようでした」という観察から生まれている。働きはじめてから、転々と変わった(変わらざるをえなかった)仕事とそこでの労働者の暮らしが淡々と対象化されていて、煽動的な言葉ではないが、労働者民衆への愛に満ちた記述から、正義と連帯の情が湧き出るように伝わる。

 何故、85号クレーンに上ったかは、日本語版序に、「この四人の名前が、金属労組・韓進重工業支会の歴史だ」と、著者が語っているように、朴昌沫(パク・チャンス)、キム・ジュイク、クァク・ジェギュ、チェ・ガンソらの壮絶な抵抗とたたかいの中に、その答えがある。御用労組から韓進重工業労組の歴史を書き換えた朴昌沫が刑務所から棺に入って帰された「疑問死」、2003年の整理解雇撤回闘争の結果結ばれた労使暫定合意が反古にされたことへの抗議のため、一人で85号クレーンに上り、首を吊ったキム・ジュイク、その半月後に身を投げたクァク・ジェギュ、二人の命を投げ出して実現した「労使合意」で、キム・ジンスクを除く解雇者全員の復職と一方的な仲裁制度の廃棄などの20年来の宿願を果たした。しかし2010年の執行部選挙で、御用労組時代に執権していた人々に敗北した。その1週間後に新たに整理解雇が提案され、キム・ジンスクは24日間の断食籠城に入ったが、新執行部は「個人行動で分裂行動だ」と非難した。「資本との戦線では労働者の葬式さえもたたかいだった」。烈士の葬式を執り行ったチェ・ガンソは、「損害賠償仮差押さえ撤回、民主労組死守」を叫んで、労組事務所で首を吊り、34歳の命を閉じた。

 このような烈士たちのたたかいと無念を背負って、著者はクレーンに籠城したのだ(チェ・ガンソの死は整理解雇撤回闘争後ですが、著者の想いとしては、先の3烈士と同列に受け止めている)。クレーンの下の組合員からロープで引上げた支援物資の中にあったスマートフォンツイッターで、組合員と家族に、そして広く勤労者市民に、訴え続けた。もちろん、キム・ジンスクの身を資本と権力の強制排除から守るための死守隊も生まれた。クレーンの上で発せられた訴えから30数頁が「笑いながら最後まで、共に戦おう!― 85号クレーン、そして、希望のバス」として最終章を締めている。

 厳寒の35mのクレーン上の生活はどんなであろうかと、想像を絶する場面だが、発せられる言葉は、常に「連帯」を語っている。無念の死を遂げた四人の烈士に対する「罪悪感」を引きずりながらも、籠城2日目に発した言葉は「自分の足でクレーンから下りるということを必ずやってのけたいと思います」と。そして、自分たちのたたかいだけではなく、次々と続く他労組のたたかいへの支援連帯を熱く語っている。第5次希望のバス当時、クレーンの上からニュヨークのウォール街で行われたオキュパイ総会に向けても、リアルタイムで連帯アピールを送っている。

 「希望のバス」の提唱者の一人、詩人の宗竟東(ソンギョンドン)が日本語版出版を祝って寄せた、「希望のバスは今も走っている」は、キム・ジンスクのたたかいと、「希望のバス」に結集した勤労者市民のたたかいの広がりの意義を語っている。

― 14年ぶりに、財閥の会長を2度も国会に立たせ、国民に対する謝罪までさせた。残酷な整理解雇の過程において、「死んだ者」と「生きている者」の間の連帯は不可能だという時代のパラダイムを超え、韓進重工業の「生きている者」が再び「死んだ者」の味方になって、民主労組執行部を作り上げる、涙ぐましい、奇跡のようなことを可能にした― と。
― 私たちはみな希望のバスのことを忘れずに覚えている。あの解放の記憶は消えないでいる。私たちみんなが連帯すれば、私たちの手で社会の構造を変えていけるという確信を捨てずにいる。少し時間がかかるだけで、その危機が極限にまで深刻になった、この野蛮な資本主義体制もまた根本的に変わるしかないという、滔々たる歴史の流れを忘れないでいる ― と。

 この勝利を獲得する前の苦しい時期、2003年10月22日釜山駅前広場で開かれた「労働弾圧糾弾全国大会」で発した、キム・ジンスクのアピールが本書の帯に記されている(本文154頁)。
「世紀を越え、地域を越え、国境を越え業種を越え、代々受け継がれる資本の連帯はこれほどにも強固なのに、私たちの連帯はどれほど強固でしょうか。非正規労働者障がい者、農民、女性、そうした人びとから目を背けたままでは、私たちは資本に勝てません。どれほど身の毛がよだち、どれほど歯ぎしりしても私たちはたったの一日でも彼らに勝つことができません。あちらが正しいから勝つのではなく、私たちが連帯しないがゆえに敗れてしまうのです。・・・この胸が張り裂ける怒りを、血が逆流するようなこの無念さを、いつかは晴らすべきではありませんか。いつかはそっくりそのまま返してやるべきではありませんか」と。

なお、日本語版出版を記念して「キム・ジンスク来日講演ツアー」が計画されている。
詳細は  http://jinsuk.jimdo.com/ (伍賀偕子)