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『21世紀のグローバル・ファシズム ―侵略戦争と暗黒社会を許さないために―』

 紹介するのにはやっかいな、しかし興味をそそられる本である。
 まず第一に『21世紀のグローバル・ファシズム』というタイトルと−侵略戦争と暗黒社会を許さないために−との副題。出版意図や目的を何となく把えることができるし、読んでみようとの気にさせられる。
 第二に、まえがき、序章から終章、あとがきまで、三部だてで編著者含めて23人の執筆陣。
     第1部  ファシズム到来の前兆
     第2部  戦争とテロの時代
     第3部  民衆の抵抗と平和・人権論

 まずは通読しましょうといいたいところだが、タイトルの由来などを大把みにするために前と後を読まれるようおすすめしたい。

 編者は、「グローバル・ファシズム」(世界的規模での戦争国家・警察国家)の到来という危機の時代として現状を把え、“敢えて言えば、それは何よりも平和と民主主義にとっての深刻な政治的危機であると同時に、その背景には現代資本主義の存続を脅かす経済的危機があり、さらに人間の意志と存在価値を揺さぶる道徳的危機とも繋がっているのではないかと思います。”(p.4)とまえがきで語っている。

 そして、日米にとどまらず、韓国や欧州諸国、中東・イスラム諸国などを含む世界的規模の視点で、それぞれの国内事情と対外関係の実情と歴史を考察・検証することとして、上記三部構成の意味を明らかにする。
 さらに、“執筆者の知的背景も政治的立場もさまざまであり、用いるキーカテゴリーも相互に異なり、場合によっては矛盾する場合もあるかもしれません”と率直に表明している。(p.6)

そのうえで“本書の『グローバル・ファシズム』という視点および内容、分析が有効であるかは読者の手に委ねるほかにありません“とも。これは編著者の読者に対する“挑発”とも思えてくる。
 付記すれば、まえがき末の2013年9月18日―満州事変勃発から82周年を迎えて―の言葉、編著者紹介の前田朗の項の“大和民族アイヌ民族に対する侵略者「屯田兵」五代目に当たる”の記載などをみると、編著者の思いも含めて読み取る必要を感じる。

 読ませ方は親切である。各執筆者論文のタイトルとともに小見出しまで紹介されている丁寧な目次。これを頼りに、極端に言えば、読者各々の問題意識・知的欲求に応じて“拾い読み”も許されるであろう。執筆者は前述のように様々であるが現状への危機意識において通底していると思えるからである。
 その手助けとして(A)執筆者関係の文献、(B)その他の関連文献が執筆順に並べて紹介され、編著者紹介も必要最小限かつ的確に表記されてもいる。
 各々のテーマから自分なりの“グローバル・ファシズム”へ到達するもよし、その“窓”から各々のテーマを深めるもよし、読者が編著者と共通の目線で読んでいってはどうだろうか。戦争とファシズムに抗するために。

では、“拾い読み”を開始しよう。

 「戦前の報道と現代の報道−相似形、ますます強まる」の高田論文(p.70〜)では、満州事変前
大阪朝日新聞取締役の社内向け文書、“新聞 報国の秋(とき)”をとりあげる。“全国民の一致団結の力が強ければ何物も恐れることはありません。(中略)この一億一心に民心を団結強化するためには、(中略)国民の向かうべき道を明示する良き新聞を普及することが、適切有効であることは・・”。
新聞に本当のことは載っていなかったと言われるこの歴史は、現在においてもとりわけ、“3.11”以降も本質的には変わっていないのであろうか。

 「虚偽は暴力の母−ハシズムとナチズム−」の木戸論文(p.109〜)では、1929年からナチスヒットラーが権力を掌握するドイツ政治史を詳述している。そして、昨年7月末の麻生発言をとりあげ、“そもそも、ナチスの「手口」を学ぶのを由とすること自体、ファシズム侵略戦争を否定した第二次世界大戦後の国際規範に対する根本的な挑戦にほかなりません。その意味で副総理の発言は、歴史修正主義を旨とするウルトラ・ナショナリスト内閣のナンバー2として面目躍如と評価することすらできましょう”(p.122)と[追記]している。

 「韓国における在日韓国人「スパイ」捏造事件から見る、保守政権下民主主義の危機」の李論文は朴正熙、全斗煥と続く韓国軍事独裁政権が、自らの体制維持と国家安保のために、「在日韓国人スパイ事件」を活用したことから論を始め、韓国民衆の闘いによる民主化、民主政権の誕生、そのことによる過去清算への一定の成果にふれながら(再審裁判開始と無罪判決)、それが未完であること、そればかりか、朴槿恵政権誕生から、今日までに自らの大統領選への国家情報院(旧KCIA)の介入や民主運動への権力弾圧を活写し、日本における在日朝鮮人・韓国人へのヘイトスピーチにみられる日本社会の差別・排除の現状に言及している。

 「ファシズムは復活するのか、ファシズムは継続しているのか?―東アジアで考えたこと―」の徐論文(p.292〜)では、自ら主催した台北での光州五月版画展における、友人洪成潭(ホン・ソンダム)画伯との交流を紹介し、東アジア民衆の連帯と植民地支配、戦争・侵略、分断に対する抵抗の根拠を構築する意義を強調する。そして日本の現状、とりわけ東日本大震災福島原発の大事故の中での日本人の「秩序意識」を、福島現地に入った洪画伯の詩とともに、“精神の戒厳令”の言葉で省察している。
 
“拾い読み”は、この辺でピリオドとします。
     
 1月18日に大阪で開かれた本書出版記念シンポジウム(東京では19日)では、“精神の戒厳令下”の現状、“主権者責任”をベースにした抵抗の構築など、読者や市民運動・労働運動にかかわる人たちによって、熱っぽい討論が展開された。
 いうまでもなく、名護市長選勝利を象徴とする沖縄民衆の闘いや、避難の権利を明確にしたフクシマ被災者の責任追及裁判の全国的広がり、強制連行企業・性奴隷制に関連しての、日韓条約で解決済とする日本政府・企業に対する日韓共同の闘いなど、精神の戒厳令下に対する抵抗と闘いは、すでに開始されている。
 本書において様々な人たちが、一堂に会したとすれば、その読者たちが、主権者責任をベースに、その営みを紡ぎあっていくことを願わずにはいられない。(湯川 恭(元大阪総評書記局))

※今回より、寄贈本紹介の執筆者が増えました。元大阪総評書記局員の湯川恭(ゆかわ・やすし)さんにも執筆をお願いすることになりました。

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