四六判450頁の大部な大作だが、目次を紹介すれば、決してとっつきにくい専門書ではないことが、わかっていただけると思う。
本書は、第1回「河合隼雄学芸賞」の栄誉を得たのだが、その理由が「研究としての緻密さと、そこに包摂された物語性が評価され」たとされているように、「食べること」についての著者の哲学・思想に裏づけされた研究の展開が、決して長く感じさせないのである。
目次は以下の通りである。
- 序 章 台所の環境史
- 第1章 台所空間の「工場」化 建築課題としての台所
- 第2章 調理道具のテクノロジー化 市場としての台所
- 第3章 家政学の挑戦
- 第4章 レシピの思想史
- 第5章 台所のナチ化 ティラー主義の果てに
- 終 章 来るべき台所のために
- 「食べること」の救出に向けて あとがきにかえて
著者は「人間のなかに台所を埋め込むこと」と「台所のなかに人間を埋め込むこと」という規定を、台所の合理化を強制された囚人と「主婦」にあてはめ、両者のあり方に、近現代人が求めてきた食の機能主義の究極的な姿を認めている。どちらも、人間ではなくシステムを優先し、どちらも「食べること」という人間の基本的な文化行為をかぎりなく「栄養摂取」に近づけている― と。
アウシュビッツの囚人たちは、1日1回の「水のようなスープ」とパンで強制労働を強いられた。コストの極めて安い労働力として酷使するために1日1回は与える。飢えに苦しむ囚人たちは、自分たちの身体のなかに、刃物も火も要らないもっともコンパクトな台所を建設する。つまり、自らの皮下脂肪や筋肉組織の最後の最後までを貪る、自分自身を食べるのである。
かたや、非戦闘員の「主婦」に要請されたのは、第2次世界大戦下のドイツのレシピ集『料理をしよう!』に表現されているごとく、「機械」になるべきだと、つまり、機械のように寸分の間違いもなく、ありとあらゆる無駄を排除して台所仕事をこなすことであった。
この歴史的な事実を、緻密な実証と研究によって追っていき、資本主義が発明したテイラー・システムへの根源的な批判にいたっているが、その叙述展開は、受賞理由にあげられているように、実に内容豊かな物語性にあふれていて、知らず知らずの間に引き込まれていく。
さらに、本書は、ナチズムの歴史の点検に終らず、人間の根源的な行為である食の文化を救出するための、基本的な思想と方法論を読者が読み取れる、優れた啓発書とも言える。(伍賀偕子)
<書誌情報>
- ナチスのキッチン:「食べること」の環境史 / 藤原辰史著. 水声社 2012年