『沖縄闘争の時代 1960/70 分断を乗り越える思想と実践』



大野光明(2014年9月/人文書院)340頁
 著者は1979年生まれで、現在大阪大学グローバルコラボレーションセンター特任助教
本書は、立命館大学大学院・先端総合学術研究科に提出した博士論文『沖縄の日本「復帰」をめぐる社会運動の越境的展開―沖縄闘争と国家』に大幅な加筆修正が加えられたものである。
340頁に及ぶ大部の著述を貫いている一貫した視座は、沖縄問題を、<沖縄の人々が抱える、あの島=沖縄で起きている問題>として切り縮める力学に抵抗して、自らの問題として内在的に捉え、向き合うことにある。対象は、1960年代後半から70年代前半の沖縄闘争に取り組んだ人々の運動の検証だが、この視座は、現在の米普天間基地の「移設」をめぐる問題に対して向き合い行動する姿勢に通じるものである。
 序章において、著者は述べている― 沖縄闘争は、基地を残したままの返還を止められなかった/変えられなかったという意味では、敗北している。そして、筆者はその敗北を既に知ってしまっている。けれども、現在を生きる者の高見や枠組みから、過去を従属させて論じることはできない。だからといって、過去の運動を無前提に称揚したり、擁護するべきだ、というのでもない。敗北に必死に向きあい、抗いながら、それでも言葉を紡ぐという行為を、そのプロセスに同伴するようにして、内在的に記述することが求められる。それが、どこまで達成できたかはわからないが、本書はこのような意味で内在的な記述を試みる―と。

 使用した史料・資料については、それぞれの運動で当時発行された機関紙やビラ、運動内部のメモやレジュメ、著作や論壇誌上の文章、新聞記事を丹念に取集・分析するとともに、著者独自の聞き取り調査も行い、「精度を高めた」としている。
 二つの問いが設定されている。第一の問いは、いかなる人々・アクターが、なぜ、どのように沖縄問題に取り組んだのかである。第二の問いは、沖縄闘争において、人々は沖縄の日本復帰をどのように受け止めたのかである。
そして、沖縄戦後史研究の優れた研究成果=沖縄を中心とした社会運動の蓄積に対して、「それに呼応した日本本土の運動や、沖縄と日本を行き来した人々の運動の歴史は十分に論じられていない」、その欠落を埋める意図をもっているとしている。
 第一の問いに対して、「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)(第二章)、「大阪沖縄連帯の会(デイゴの会)」(第三章)、竹中労らによる島唄をめぐる活動(第四章)、反戦米兵や米国の反戦活動家、「沖縄ヤングベ平連」による出会いと交流(第五章)、そして、「沖縄青年委員会」および「沖縄青年同盟」(第六章)を考察している。
なぜこれらの五つのグループなのか、それは、復帰への葛藤や揺れにこそ沖縄闘争の時代のリアリティがあったと考える著者は、運動を担った一人一人の経験が浮かび上がるような事例、どちらかといえば小さな、しかし工夫に満ちた、特徴的な実践を行った五つの運動へ「引き寄せられた」と述べている。
 1965年に東京で結成されたベ平連は、ベトナム戦争への反対運動のなかで、ベトナム戦争を支える日本社会のさまざまな仕組み(安保条約、在日米軍事基地、軍需産業など)を発見し、その変革に取り組み、沖縄問題に積極的に関わった。「ベトナムに平和を!」「ベトナムベトナム人の手に!」「日本政府はベトナム戦争に協力するな!」の3つのスローガンに賛同できれば、誰でも「ベ平連」を名乗ることができる個人参加の運動で、党や組合などの組織的な運動が多いなかで、新しい運動形態をつくり、「わが内なるベトナム」認識を大衆的に形成した。ここでは、68年8月、在沖米軍・嘉手納基地ゲート前での抗議行動と渡航制限撤廃闘争を考察し、本土/沖縄の二分法の構造について分析している。
 第三章で検証されている「デイゴの会」は、本土/沖縄の二分法では把握できない「大阪の沖縄問題」を発見し、自らが住む大阪の成り立ちに内在した運動を展開し、<この街で起きている問題>としてとらえかえしていった。
 第五章の沖縄におけるベ平連運動は、軍事的暴力がフェンスの外側だけでなく内側にも、そしてベトナムにも及んでいるということを発見し、反戦米兵による運動や、米本国の反戦活動家らの出会いや交流を通じて、グローバルな反戦・反軍運動を創り出していった。

― これらの運動は、暴力や忘却とともに維持されている境界線を問い、越えようとする試みを通して、人々は当事者性を獲得し、分断されていた者たちの新たな共同性を創り出そうとしていた。(書名のサブタイトルの問題意識である)
字数の関係で第二の問い=沖縄の日本復帰に対する検証を紹介できないが、本書に登場する人々は、日米政府に決定権を委ね、陳情や請願を行う制度化された政治が、暴力を構造化していることを拒否して、別の政治を創り出すことを渇望していた。日米両政府による沖縄統治政策を一瞬であれ、崩壊させるような、その管理が及ばないような、自律的な空間、コミュニケーション、言葉、そして身体を創る豊かな実践に注目している。たとえば、沖縄と本土を行き来する船や港の占拠(第二章)、隔週定時制高校の解体にまで発展する直接行動(第三章)、復帰の失敗を生きる/つくる人々を生み出す島唄(第四章)、フェンスによる分断を乗り越えようとするダンス(第五章)、拒否を起点とした政治の転換(第六章)など、創意工夫があふれている。
人々は復帰の概念を変えていった。復帰とは、1972年5月15日に完了した出来事ではなく、動態的な交渉のプロセスとして捉えかえされた。決着はいまだについていない、未来においても、現在においても、別の世界、別の沖縄、別の私は創造可能なのだ。これは、沖縄闘争が現代を生きる私たちに宛てた一つのメッセージであると、締めくくっている。(伍賀偕子)