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「在日」と50年代文化運動 幻の詩誌『ヂンダレ』『カリオン』を読む

 『ヂンダレ』『カリオン』というのは、1950年代、大阪で詩人・金時鐘を中心に発行されていた、在日朝鮮人の詩誌である。
 本書は、2009年5月24日開催のシンポジウム「いま『ヂンダレ』『カリオン』をどう読むか」(ジンダレ研究会主催 於大阪文学学校)の記録に、関係するエッセイと資料を加えて編まれた書物である。シンポの記録としての第1部、両詩誌の詩人たちを論じた第2部、詩作品と『論争』に関係する評論のうち主要なものを収めた第3部の三部構成になっている。
 シンポを司会された細見和之さんのいわゆる「あいさつ」がトップにある。主催者である「研究会」の始元、活動(探す・集める・読む)そして“幻の”二つの詩誌の復刻版製作等の想像するだけで大変な営みがサラリと紹介されている。
 「復刻版を出すと安心してしまうのか……、それ以降実際には読まなくなってしまうことがある。」「復刻版が出たからこそそれを読み合うシンポジウムが必要だろうと、研究会のメンバーと話し合いました。」
 このような人たちの主催するシンポであればこそ、それ自体豊かなものになったのであろう。ぼくはこの「あいさつ」に感動し、心して読もうと思ったのだった。

◎報告1 東アジア現代史の中の『ヂンダレ』『カリオン』 宇野田 尚也
・創刊
 宇野田さんは前置する。「『ヂンダレ』『カリオン』というのは詩の愛好者が集まって自分たちの作品発表の場所を作ってみたというような気楽な雑誌ではなく、抜き差しならない状況のもとで激しい軋轢をともないながら創刊され途絶した雑誌だから……創刊から途絶に至るまでの経緯をその背景も含めて説明し始めたら……とても作品を読むどころではなくなってしまいます」。
といいつつ、その経緯、背景を最小限と断って以下のように概括する。
 解放後の在日朝鮮人運動においては左派が圧倒的に優勢で、朝鮮人共産主義者日本共産党の指導を受けており、日本共産党には朝鮮人党員を指導する民族対策部(民対)があり、一方、左派在日朝鮮人の大衆団体として在日朝鮮人連盟(朝連)が結成され、朝連が強制解散させられてからは、在日朝鮮統一民主戦線(民戦)として再建されるが、朝連も民戦も共産党民対の方針に強く規定される関係であったといってよい。
占領下の日本の在日朝鮮人政策は、朝鮮半島情勢と連動しており、済州島4・3事件の起った’48年には(大韓民国朝鮮民主主義人民共和国成立)民族学校が強制的に閉鎖させられ、’49年には朝連が団体等規制令により強制解散・財産没収の大弾圧を受ける。翌’50年6月25日の朝鮮戦争勃発後、左派在日朝鮮人は、民対指導下に非公然の祖国防衛委員会を組織して反米実力闘争を展開していくが、当時同じように非公然化して実力闘争路線をとっていた日本共産党の闘いの重要な部分を担ったのは、その祖国防衛隊だった。そのような実力闘争がピークを迎えるのが、’52.4.28のサンフランシスコ講和条約日米安保条約の発効後のメーデー事件、吹田・枚方事件だが、破防法公布施行後は大規模実力闘争方針が見直され文化闘争が強化されていくことになる。おそらく’52年秋頃に民対中央で文化闘争強化の方針が決定され、それが民戦に持ち込まれ、’53年2月の『ヂンダレ』創刊に始まる在日朝鮮人サークル誌の創刊ラッシュにつながっていったというのが、宇野田さんの概括である。

 そして「自らの読み方」として創刊号所載の朴実「西の地平線」を紹介、朗読する。
 ……西の地平線/そこは何処になるんだろう(中略)ジンダレの花咲く故郷なのかもしれない/……
……いつしか、地平線は/夜のしじまの中え(中略)もう、祖国の山河も/ジンダレの花園も/そして島々も/見えなくなった……
 日本にいながらにして祖国を戦火に焼かれるという経験を在日朝鮮人青年の、詩というかたちをとった一つの
証言として自分に迫ってくるこの詩を『ヂンダレ』初期の闘争詩に共通する特質としてあげ、「このような特質は、反米民族主義によってたって視野を日本に限定する傾向の強かった当時の日本人サークル詩誌の闘争誌とは著しい対比をなしています」と述べる。
 そして日本で朝鮮人として生きる生活を歌った“生活詩”として、金希球「大阪の街角」、権敬沢「地下足袋」、
[いずれも本書資料集所収]を紹介する。
 ……知っているか。/大阪駅前、/ここは、昔、海だった。……
 ……知っているか。/新築ビルディングの庭に/古代の貝殻の中に/俺の破れた地下足袋が埋めてある。……
 前の「西の地平線」を評して宇野田さんは「これが散文ではなく詩として書かれたこと」を決定的に重要なこととされているが、工事現場で働き、自分で建てた家のそばでささやかな養鶏をやりながら詩作をしておられた
権敬沢のこの「地下足袋」などを読むと、ぼくには闘争誌と生活詩の区別など不要ではないかと思えてくる。
 ◎『ヂンンダレ』論争
 ’55秋以降、詩誌としての充実度を高めていく一方で、この時期には、朝鮮戦争休戦後の東アジアにおける前述のような国際共産主義運動再編の影響が『ヂンダレ』にも及んでくる。
 その一環としてそれまでの一国一党主義が改められ外国人共産主義者は居住国ではなく祖国の党の指導を受けるべきであるとされるとともに、居住国の内政に干渉してはならないとされる。そして左派在日朝鮮人運動においては、民戦から総連(在日本朝鮮人総連合会)への転換が起こり、日本共産党の指導を受けていた朝鮮人共産主義者は総連を介して朝鮮労働党の指導を受けるようになる。それに伴って詩運動においては〈朝鮮人朝鮮語で祖国を歌うべきである〉とされる。そして日本語により創作していた『ヂンダレ』は恰好の攻撃対象とされ、民族的主体性を喪失しているといった批判を受けることとなった。『ヂンダレ』会員のほとんどは日本で生まれ戦時下に日本語で教育を受けた二世の第一世代であり、このような批判は彼らにとっては自らの文学的、さらには実存的あり方に関わる、深刻な批判であったはずである。『ヂンダレ』論争とはこのような文脈と内容を持ったのだが、共和国本国からも批判が加えられるに至って、それは第20号で途絶する。最後まで『ヂンダレ』に踏みとどまった金時鐘、鄭仁、梁在日の三人により『カリオン』が創刊されるが、『カリオン』も三号で途絶してしまう。
 この論争について、歴史的意義についてのみとの限定をつけて宇野田さんは、詩作をめぐる省察を通して「在日」「二世」問題が初めて明確に定式化されたことが最も重要な点であろうとし、「自己の寄って立っているこの基盤から、この手でまさぐりうるものだけが頼りだ」と説き起こし、「新芽のような二世文学よ起れ!」と結ばれる金時鐘の「第二世文学論」〔『現代詩』’58年6月・本書資料編所収〕を紹介する。

◎生き残れた50年代の詩的証言
 まとめに入って、宇野田さんは、中国での国共内戦朝鮮戦争インドシナ戦争ベトナム戦争をあげ、’45年8月15日は東アジアにとっては、日本の支配からの解放の日ではあっても、「戦後」の始まりではなかったとして、日本で流布されている8月15日が現在につながる歴史の起点であるとする歴史把握の仕方が日本内部でしか通用しない一国的な歴史把握であるとの重要な問題提起を行い、現在の我々をも強く規定する東アジア現代史上の最大の要因は朝鮮戦争であるとする。
 そして、自分にとって『ヂンダレ』『カリオン』を読む作業とは、「日本で朝鮮人の青年たちは朝鮮とその後の政治的激動を、どう生きたのかを、個別具体的な経験に即しつつ感覚や感情、機微にも触れながら、たどりなおすこととそのなかで在日朝鮮人の歴史的経験と日本人の歴史的な経験をもう一度絡め合わせ、東アジアの現代史を捉え直していくことである」と結論する。
続いて、東大阪で、文化運動の拠点として、喫茶店『美術館』を経営されている詩人、丁重さんが−報告?〈在日の「原初のとき」を訪ねて−を行う。
 丁さんは「在日独自の民族的主体性」を提起する。そして在日独自の「言葉の目覚め」「精神の目覚め」が詩となって結実したものの最たるものとして金時鐘の初詩集『地平線』に記された詩句をあげる。
 「行きつけないところに、地平があるものではない。/おまえの立っている その地点が地平だ」  
     
 本書が広く読まれることを願う。とりわけ日朝・日韓問題にかかわっている日本人に読んでほしい。そして、詩は声に出して読んでほしい。(湯川 恭)
<書誌情報>
「在日」と50年代文化運動 : 幻の詩誌『ヂンダレ』『カリオン』を読む / ヂンダレ研究会編