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馬場新一遺稿集&追悼集

寄贈本紹介
  • 『群雀 馬場新一遺稿集』(編集協力=竹の花文芸/2014.12.10/私家版)
  • 『馬場新一さん追悼集』(馬場新一さんを偲ぶ会=情報労連近畿ブロック協議会・NTT労働組合関西総支部・同西本社総支部/2014.10.26/私家版)


 馬場新一氏は、旧全電通労組(現NTT労組)近畿地本委員長、中央本部財政局長、いわば「全電通時代の黎明期を支えた最後の人」で、大阪労働者住宅生活協同組合(大阪労住)理事長も務め、2014年5月21日94歳の天寿を全うされた。
 組合運動の中枢幹部としての事跡は、『追悼集』冒頭に、労働運動史研究家の久保在久氏が「労働運動一筋 馬場新一さんの生涯」として纏めておられる。全電通運動の歴史だけでなく、1975年年末の「スト権スト」を大阪公労協議長として指導し、大阪労住では労働者のための住宅開発事業の推進に指導権を発揮されたことなど、短い記述のなかでポイントをおさえた紹介で、次世代が共有できる素材が提供されている。
 組合運動における事跡は、この紹介に譲るとして、「文筆の才もずば抜けていて」、いくつかの著書を残している。
労働組合ノート』(1974年1月)/『峠―続労働組合ノート』(1981年1月)/『道』(1983年1月)/『行き交う人々』(2003年5月・日経大阪PR)― いずれもエル・ライブラリーに保管されているので、閲覧されたい。
 今回の『遺稿集』は、全電通労組近畿地本の文芸誌「葦笛のひろば」と九州文芸の仲間と発刊した「竹の花」に寄せられた馬場氏の原稿のいくつかである。戦地体験、シベリア抑留体験の最後の世代としての著書もあるが、この『遺稿集』では、前半は≪私の従軍記−平和を語る≫と、後半は≪私の身体検査≫の2部構成になっている。
 神戸中電局勤務中、1942年現役兵として京都伏見の第十六師団砲兵隊に入隊して、満州中国東北部)のソビエト連邦(ロシア)との国境に送られ、1945年8月、ソ連軍に武装解除されて、捕虜となる。零下40℃の厳寒シベリア抑留生活4年余、歴史上日本人が初めて体験した外国での抑留生活の体験は上記の著書に詳しいが、この時期を「その後の私の道を規制した点で決定的である」と自ら語っているように、後の社会労働運動の思想的基盤が築かれた。千名の帰国兵の梯団長として全員を率いて1949年11月舞鶴港へ帰国した。ここでも「職よこせ」「復員手当増額」の要求を出し、ハンストも決行して、1週間舞鶴港に留め置かれた。これらの原体験をバックに、前半の≪私の従軍記≫では、戦争と平和の意味するところが12本の寄稿文で綴られている。「いつか来た道を繰り返さぬために」では、「国民精神総動員」体制が国民生活のあらゆる分野を支配し、疑問を発せられず、抹殺された事態を振り返って、「主権在民」戦争を防止するのは、民である。民の力である。圧倒的多数の民である――と。―― 依然として背中合わせの≪戦争と平和≫。戦争はなくなっていない ―― とも。この文は、1999年に書かれているが、戦後70年の今の状況をどう語られるだろうか。1995年の「戦後五十年、反戦平和を唱う」の文では、―― 反戦平和を唱う。真の平和と自由はまだない。労働組合は何をなすべきか ―― の提起で括られている。
 後半の≪私の身体検査≫では、社会労働運動の第一線を引いてからの日々の暮らしのなかからのエッセイとなっている。94歳の長寿を全うされた健康法や、現役世代とのさりげない交わりの中での存在感あるメッセージなど、表紙に飾られた写真に見る晩年の姿が彷彿と浮かぶ味わいあるものである。
 最後の「メモ書き 生い立ちの記」は、編集委員のひとりである井上泰行氏作で、馬場氏の生誕から小学校、中学校の頃の生い立ちの現地を訪ねて、彦根市史・神戸市史などをひも解き当時を思い起こさせてくれる記述の中で、馬場新一少年の生い立ちを浮かび上がらせてくれる。これは、馬場氏の生前に書かれたもので、これを読んだ馬場氏の「タイコー」への想いが「ごくろうさん」と綴られている(「やすゆき」とは呼ばず、通称「タイコー」で通っている)。馬場氏と彼との人間味あふれる交わりが、印象深い。
『追悼集』で多くの人々が語っている、馬場さんの「存在感」も学ばされる言葉が多い。(伍賀偕子)