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メーデー記念上映会:1950年代の幻灯

イベント案内

<上映作品>

  • 『山はおれたちのものだ』(1954年頃)
  • 『平和のかけ橋 李徳全女史来訪記録』(1955 年?)
  • 松川事件 1951』(1951年)

<上映会概要>

  • 5月1日(金)18:30〜20:40(18時開場)
  • 講師:鷲谷花氏(早稲田大学演劇博物館招聘研究員)
  • 会場:エル・おおさか5階504号室
  • 参加費:500円
  • 定員:30名
  • 主催:エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)
  • 協力:神戸映画資料館
  • お問い合わせ:メールで lib@shaunkyo.jp までどうぞ。

<スケジュール>

  • 18:30 開会、上映
  • 20:00 解説・会場とのトークセッション
  • 20:30 終了、撤収
  • 20:45 懇親会

<講師プロフィール>
鷲谷 花(わしたに はな): 早稲田大学演劇博物館招聘研究員・成城大学非常勤講師。映画学、日本映像文化史。共編著に『淡島千景 女優というプリズム』(青弓社、2009年)。近年は昭和期の幻灯/スライド文化研究に取り組むかたわら、各地で幻灯機を用いた上映活動を行っている。

【作品紹介】解説:鷲谷 花


松川事件 1951』(1951年)
製作:人民幻燈協会、(日本労農救援会)
福島大学松川資料室所蔵オリジナルプリントから複製したニュープリントを上映

1949年8月17日未明、東北本線金谷川〜松川間のカーブ付近にて乗務員3名が死亡する列車転覆事故が発生、後日、列車転覆を目的とする共同謀議及びレール取り外しの実行に加わった犯人として、東芝松川工場及び国鉄労働組合員20名が逮捕・起訴され、1950年に全員が死刑を含む有罪判決を受けた。しかし、被告側はあくまでも無実を訴え、また、警察・検察側の主張及び手続きに数々の重大な過誤があることが徐々に判明したことから、1953年の第二審開始の前後から、公正裁判と被告救援を求める運動が、党派や立場の違いを超えて広範に展開されるに至った。福島大学松川資料室に、手書きの台本と共に保管されていたこの幻灯は、松川事件救援運動が国民的な注目を集める以前に製作され、事件に関連する最初期の映像作品と考えられる。
フィルム冒頭には「人民幻燈協会(日本労農救援会)」のクレジットがあるのみで、製作に関わった個人名は一切記されていないが、画家桂川寛の自伝『廃墟の前衛』(一葉社、2004年)に、1951年に都立大学「歴研」の学生と共に「「松川事件」のための紙芝居絵やスライド画」を描いたことが記述されている。複数のコマに描かれたデフォルメされた人物像や大胆な空間デザインも、桂川の画風と一致しており、桂川と都立大歴研の学生たちの共作により、1951年に完成された可能性が高い。


『山はおれたちのものだ』(1954年頃)
製作:奥多摩山村工作隊
配給:日本幻灯文化社
神戸映画資料館所蔵フィルムを上映

 1951年末、当時反米武装闘争路線に傾斜しつつあった日本共産党の非公然組織として、学生メンバーを中心に結成された山村工作隊は、立川米軍基地へと電力を供給する「軍事ダム」とみなされていた小河内ダム(1957年完成)の建設を阻止し、また、封建的地主に対する山村民の抵抗運動を組織する目的で、東京都西多摩地区へと派遣された。本作の台本及びフィルム上には製作年は記されていないが、1952年春から夏にかけての軍事的工作が失敗に終わって多数の逮捕者を出し、現地に残った工作隊が、医療衛生及び文化芸術中心の工作へと路線を転換した後に製作されたことが推察される。武装闘争への参加を呼びかける戦闘性は影を潜め、現地の山村民の日常生活を写しとりつつ、貧困問題や封建的な抑圧を解決してゆく必要を訴える、より穏健な主張が中心となっている。ただし、山村工作隊の指導によりヤロビ農法(ミチューリン農法)を試みた村民がめざましい成果をあげたと語るくだりなど、現実性が乏しいと考えられる描写も散見される。


『平和のかけ橋 李徳全女史来訪記録』(1955 年?)
製作・配給:日本幻灯文化社
神戸映画資料館所蔵フィルムを上映

1949年の中華人民共和国建国に際して、日本は同国を承認せず、両国間には正式な国交がなかったが、1954年10月30日、当時の衛生大臣李徳全を団長とする中国紅十字会代表団10名が、日本赤十字社日中友好協会、平和連絡会の三団体の招きに応じて公式に日本を訪問し、これが新中国成立以来初の要人の訪日機会となった。12日間にわたって日本各地を訪問した李徳全以下代表団は、とりわけ関西では熱烈な歓迎を受け、京都から大阪までの沿道に一行を歓迎する群衆が並び、大阪市内の扇町公園で開催された歓迎会には4万人に及ぶ参加者がつめかけたとされる。この幻灯は、李徳全一行の日本での全行程の記録写真を再構成したもので、説明台本中の記述から、おそらく1955年に完成したものと考えられる。関西での大歓迎、松川事件武田久被告の母と李徳全の握手、平塚らいてうの挨拶、当時争議の渦中にあった日鋼室蘭の労働者による歓迎、赤松俊子(丸木俊)から李徳全への油彩画『鳩笛』(現在所在不明)の贈り物など、興味深い情景が多数含まれている。