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『体験者がつづる近江絹糸人権争議 自由と人権を求めて』

 白石道夫編著(2015年3月/文理閣/117頁)

 本書の編著者白石道夫氏は、1954年6月に15歳で近江絹糸彦根工場に集団就職した直後、日本の労働運動史上歴史的な近江絹糸人権争議(1954年6月106日間のストライキ)を体験している。
 戦後民主主義の思想と行動が育まれていった多くの出来事の中でも、この近江絹糸人権争議は、労働運動にとどまらず日本中を揺るがした画期的な「人権争議」であった。この争議を研究対象とした書やオーラル・ヒストリーの取組みが進められているが、本書は、争議の展開を時系列で追うというような文献ではないが、書名通り「体験者がつづる」生きた証、当時のエレルギーが伝わる書である。組合が結成され、ストライキに突入した瞬間を、中学卒業直後の新入社員がどう受け止めたのか、その新鮮な驚きが語られている。

 そして今、非正規の若者たちが劣悪な労働環境で働かされている状況下で、この人権争議のことを伝えたいと思ったのが、出版の動機の一つであると語られている。
「近江絹糸人権争議は、全繊同盟の全面的な指導と援助があったとはいえ、一〇代の若者たちがたたかいの中心を担った労働争議でした。戦後間もない時期に青年労働者がこんなたたかいをしていたことを読み取っていただければと思います」と―

 多くの労働争議が資本の労働者支配に対するたたかいではあるが、近江絹糸争議が特に「人権争議」と呼ばれたゆえんである人権抑圧の実態は、「金のたまごたちの待遇―『蟹工船』さながらの職場」の見出しで暴露されており、「二四時間の労働者支配―『チチキトク』の電報も無視」の節の小見出しを抜き出すだけで想像できる。―工場の塀に囲い込んで/「信書の開封」「私物検査」「仏教の強制」=『鑑(かがみ)』(真宗の法話・経文)の強制購入・強制唱和/労基法違反が堂々と/二三人の圧死事件 ―

 このような前近代的な労働者支配に対して有名な「二二項目要求」が組合員の圧倒的な支持を得て確認された(七つの工場と東京などの営業所・出張所に支部結成)。会社側の全面拒否に対して、無期限ストに突入(結果106日間)。字数の関係で22項目すべて引用できないが、「自由と人権」に関する当たり前の要求ばかりであり、こんな要求さえ、首をかけてたたかわなければ獲得できなかったのかという思いを強くする(31〜33頁)。

 当然すぎる要求に対して、各工場周辺だけでなく、全国に支援の輪が広がり、マス・メディアの取り上げも含めて、日本中を揺るがし、ついに政治を動かすまでに発展。市民や他工場からの握り飯の差し入れにむせび泣く女子労働者の姿が、当時のニュース映画にも登場したのが、小学生だった筆者の記憶にもある。
 この人権争議を「いまにいかすこと」として、二つのことが挙げられている。

― (1)要求で話し合い、要求で力をあわせ、実現のための運動をみんなですすめる
(2)たたかいへの参加、運動への参加そのものが人間を鍛え成長させる
そして、「蟹工船」の時代も「人権争議」時代も、派遣で働く青年労働者の今日も、青年の持つ正義感、学習意欲、行動エネルギーにもっと信頼をよせる大切さを付け加えたいと思います―と。

 この結びに強調されている通り、106日の人権争議は、15歳の白石青年の人生に「一大転機をもたらした」。入社3年後に、組合彦根支部執行委員に立候補している。すでにはじまりつつあった「アカ攻撃」も意識して、「アカでもシロでもいい、仲間の役に立ちたいんです」と立候補演説をして、当時では珍しい18歳の労働組合役員になった。そしてさらに「大転換」として自ら語っているように、1958年に日本共産党に入党し、その5年後党の専従役員に就いている。

 証言編には、8名の争議体験者が証言を寄せているが、いずれも、「人生を変えた」争議体験を語っている。

 資料編では、

  • 職場新聞「ラップ」創刊号(=「彦根人繊混打棉合同」職場)
  • 「近江絹糸人権闘争」年表が所収されている。

 トイレに設置した大学ノートの「ラクガキ帳」は、仲間が気軽に不満や願いを書き留めるように考えられたものである。職場新聞「ラップ」はそのラクガキ帳の意見掲載を試みていて、創刊号はエル・ライブラリー所蔵の「辻保治コレクション」から転載されている。「半世紀も大事に保管してくださった辻保治さんとエル・ライブラリーの皆さんに感謝申し上げ、ここに復刻掲載するものです」と、記されている。
 なお、近江絹糸人権争議全体の展開を学びたい方は、エル・ライブラリーに、1次史料や研究書など豊富な資料があるので、ぜひ参照されたい。(伍賀偕子)

<書誌詳細>
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