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『原発が「死んだ」日』

寄贈本紹介

 永江雅俊著(阿吽社/2015年8月/四六判190頁)

 著者は、チェルノブイリ原発事故で被曝したベラルーシの子どもたちの「転地保養里親運動」に日本で20年以上取組んできた、浄土真宗本願寺派西本願寺)の僧侶である。

 僧侶であると同時に、北海道電力泊原発の建設に反対して、断食(ハンガーストライキ)をゲート前や道庁や旭川の常盤公園で4度行い、身をもって人びとに原発の非人間性を語りかけてきて、「幌延高レベル核廃棄物を考える旭川市民の会」の共同代表でもある。

 1986年4月26日、チェルノブイリ原発事故で、広島原爆の約400倍とも言われる放射能がヨーロッパの空を覆い、広範囲の地域に深刻な被害を与えた。ベラルーシ共和国は、チェルノブイリのあるウクライナ共和国ではなく、その北隣の共和国で(当時はソ連内の一共和国、風向きの関係で南から北へ国境を越えて「死の灰」がベラルーシに降り注ぎ、約250万人が被曝し、そのうち、15歳以下の子どもたちは48万人を占めた。
転地保養里親運動は、「1か月間、放射能のない地で、非汚染食物ときれいな空気の下で生活するなら、抗体ができ、元の地に戻っても2年間の健康は維持される」というドイツ医師団の言葉に触発されて、世界十数か国で取組まれていた。

 泊原発をストップさせられなく、「むなしさ」を胸に抱えていた著者は、単なる「反対」の運動ではなく、未来の地球と子どもたちのことをみんなで考えていくべき道を模索していて、この運動に共鳴し被曝児の招聘と受け入れを始めた。チェルノブイリ事故から7年後の1993年7月に4人の小学1年生を受け入れてから、20年間で89人の保養里親となった。そして、現地ベラルーシへ16回訪れ、人々との心あたたまる交流を重ねた。言葉も通じない初めてきた遠い国で、わずか6歳の子どもたちが、どのように打ち解けていったのか、残留放射能の恐怖のもとで、人々はどのように暮らし、著者とその活動を支える日本の仲間を受け止めていったのか、胸に熱いものがこみあげる場面もある。

 始めて受け入れた幼い子どもたちが、数年後には甲状腺や胃の手術をし、その後も肉親の早死に遭遇するなど、感傷に浸ってはおられない深刻な事態がつぎつぎと記されている。
 本書は、この営みの過程で「フクシマ」の事故に直面した著者が、どのようにそれを受け止め、どう考えるべきなのか、「仏法の座標軸」から、著者の思想・世界観から人類が進むべき道を説いている。たとえば、「クニ」思想の排除について― 「異」を排する思想は、無数の差別をばらまいていく。朝鮮で東南アジアで、沖縄で。強制連行が、従軍慰安婦が。民族差別を、性差別を、とどまるところを知らずにばらまいていく。私の心の中に「クニ」信仰は無いだろうか―と問うている。

 書名の『原発が「死んだ」日』は、出版社が付けたものだが、著者はこう解説している。
一つは、東電福島第一原発のように、稼働不能となった原発が法律上も廃止が決定した日を指す。原発の機能は「死んだ」と言っていいだろう。事故から4年以上たっても核燃料物質は「生きて」おり、放射性物質は放出され続けている。原子力による発電所機能の停止だけでなく、放射能の完全除去、生きとし生けるものすべてに原発放射能の害が及ばないようになったとき、その時こそ、ほんとうの意味で『原発が「死んだ」日』と言えるだろうと。すべての原発廃炉にすることは言うまでもない。「チェルノブイリの事故と事故の後を学ばなければ」と訴える著者は―その後、チェルノブイリを参考に、巨大なコンクリートの石棺やすべてを丸ごと収める巨大な器が必要だろう。そして国民が監視するシステムを構築すべきだ― と。福島事故に対する政府対応への批判は鋭い。

 この地球には数え切らない無数のいのちが存在しており、お互いが繋がり合い、支えられ合い生きている。原爆も原発も「反いのち」であると著者は繰り返す。そして「物理学者であり、日本で最高の核化学専門家の高木仁三郎氏の言葉「人間は消し方を知らない火をつけてしまったのです」を「忘れられない言葉」として引用し、後の福島原発事故を予言していたと。日本全国どこもが福島と同じ事故を起こす可能性があることは否めない。
いったい私たちは、未来の子どもたちに何を残そうとしているのか―と訴えている。(伍賀偕子)

<書誌情報>
原発が「死んだ」日:チェルノブイリ被曝児<ベラルーシ>89人の里親となった僧侶の20年 / 永江雅俊著. 阿吽社 2015