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「大阪砲兵工廠(ほうへいこうしょう)物語」

  • 久保在久(すみひさ)[著]
  • 『蔕(へた)文庫』59号(=2015年2月)より現在も連載中。(発行=蔕文庫舎/大阪府八尾市)


 若い人には「大阪砲兵工廠」といっても、今は大阪城公園として整備されている所が、戦前日本最大級、アジア最大級の兵器工場であったことを知らない人が多いと思うが、今回の連載は1987年に久保が編纂した『大阪砲兵工廠資料集』(上・下/日本経済評論社)にもとづいており、その大部な『資料集』の実績の上に、明治以降の新聞記事を丹念に追って、見開き2頁の読みやすい分量で、テーマごとにわかりやすく解説されている。
 『資料集』編纂当時は「戦争の残骸にあたる施設などの研究」は進んでおらず、その頃まだ存命中であった関係者またはその遺族らを訪ね歩いて集めたこの資料集は、「日本産業技術史学会資料特別賞」を受賞したほどに、高い評価を得た。 
 著者の「大阪砲兵工廠」検証の基本的姿勢は、「大阪産業革命の原点」としての評価にあり、この視点が今回の連載にも貫かれている。
 連載の始まり(一)は、そのような連載の意図が書かれている。
 (二)では、1870年に始まる工廠の歴史、日本最後の内戦となった西南戦争(1877年)における兵器補給廠としての役割が描かれている。東京砲兵工廠に対して、大阪は大砲を中心とする重兵器の生産を任務としていて、西欧先進国の最新技術が取り入れられた。
 (三)では、西欧の最新技術を吸収するために、イタリアから「外国人教師」を総理大臣を上回る厚遇で招き、その技術指導の果たした役割を追っている。
 (四)では、「最初の大規模労災」として、1880年8月爆発事故で30人が即死、12名が危篤状態で病院に運ばれたが死亡、この事故の悲惨さを、12歳の少年工の死去についての新聞記事から拾って記述している。12歳の少年を雇用していた労務構成への注目や、この事故を「労働災害」として追っている、労働現場を経験している著者ならではの視点が興味深い。

 紙幅の関係で順を追って紹介はできないが、近く発行される(七)では、大阪砲兵工廠の技術が全国各地に広がった展開が追われている。日清戦争直前に建設された砲台を追って今春対馬まで行き、「砲台跡」を検分して、「歴史を学ぶものはやはり現場に立つべきだ」との思いを強くしたと述べている。

 この連載を所収している『蔕文庫』(編集・発行人=松井勇と編集スタッフ)は、年4回発行の文芸投稿誌で、ジャンルを問わずユニークな投稿作品が寄せられている。この種の文芸誌が規則正しく季刊で発行され、すでに60号を突破していること自体に、心から敬服し、定期発行のためのご努力の大変さを推測する。
 久保氏は『蔕文庫』が続くかぎり頑張ると言われており、連載をまとめての出版を期待したい。久保氏はこの『蔕文庫』の編集委員でもあり、歴史研究者として知る人ぞ知る存在である。中学卒業後電気通信省電電公社を経てNTT)のモールス通信士となり、定時制高校、立命館大学日本史専攻で学び(病気で中退)、「歴史の面白さにのめり込んだ」と。
 労働運動分野では、『大交史』(大阪交通労組)をはじめ、出身の『大阪中電戦後五十六年の足跡』、全港湾、合化労連などいくつかの労働組合史や、『大阪地方メーデーの歴史』(第40回大阪地方メーデー実行委員会)を執筆し、わが大阪社会運動協会編纂の『大阪社会労働運動史』の第1巻から9巻まで執筆者の一人として協力いただいている。労働組合運動だけでなく、「大塩事件研究会」の中心的な事務局を22年間担当し、『大阪の部落史』刊行事業にも参画し、『近代日本社会運動史人名事典』(日本アソシエーツ)にも執筆という、広く近代社会労働運動史を紡ぐ作業に地道に貢献されている。(伍賀偕子 ごか・ともこ 元「関西女の労働問題研究会」代表)