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『日本で初めて労働組合をつくった男 評伝・城常太郎』

寄贈本紹介

 牧 民雄 (同時代社/2015年6月/A判322頁)

 「日本で初めて労働組合をつくった男は?」と問われて、この人の名が浮かぶ人は極めて稀で、日本史の教科書では、高野房太郎と習った人が多いかも知れない。
 本書の帯の紹介では、― アメリカ帰りの靴職人・城常太郎は盟友高野房太郎、沢田半之介らとともに「働く者の楽園」のために労働組合運動に情熱を燃やし尽した。日本近代労働運動黎明期を走り抜けた城常太郎の鮮烈な生涯 ― とある。

 著者は、城常太郎のひ孫にあたる在野の研究者である。偶然、ひ祖父の名を大学の講義で聞き、ひ祖母から「ひい爺さんはこの国の労働運動の『元祖』だったのよ」と何度か聞かされていたのを思い出し、「自分の人生の約半分を費やして」、全国の図書館や地方新聞など、膨大な資料を収集・分析して得た結論が、「城常太郎こそが、東京・横浜・神戸・大阪の四大都市に、誰よりも先に駆けつけて、近代労働運動の聖火を灯して廻った人物であった」ということである。その結論を綿密な実証研究によって導いていく論証は説得的だが、何よりも、黎明期の労働運動に賭けられた彼および仲間らの情熱と迫力が、読者を惹きつけ300頁を越える分量を一気に読ませる。
 城常太郎(1863年〜1905年)は熊本市に生まれて早くに父を失い、苦労して靴工となる。明治21年、25歳の時に『国民之友』で米国の中国人靴工の記事を読み、単身渡米。皿洗いなどを経て、サンフランシスコで日本人初の靴屋を始める。日本から靴職人を呼び寄せて工場での製造も行うが、現地の「白人靴工労働同盟」による激しい日本人バッシングも受け、「日本職工同盟会」を結成して、結束を固める。そして、「祖国日本の労働者に労働組合の必要性を訴える」というビジョンをもって、「労働義友会(職工義友会)」に改名し、東京支部を開設。32歳で帰国し、翌年には日本初の労働問題演説会を開催して開会の辞を述べ、日本の労働運動の出発点とされる「労働組合期成会」の結成にも参画。常太郎が一時帰国した明治25年は、明治20年代における労働運動のピークを向かえる。労働争議が多発し、労働団体が次々と組織されていった。無名の靴職人たちの労働組合運動黎明期に果した役割の大きさを、本書は、常太郎の足跡を追うことで実証している。

 第九章では、常太郎が運動の第1歩として取組んだ工場労働者への訴えと、「労働組合法」制定の請願書の署名活動について、リアルに再現されている。最初の宣伝活動として選んだのが東京随一の大工場「小石川砲兵工廠」で、その門前で敢然と訴えた。他工場にも同様のオルグ活動を重ねて、興味をもった労働者を集めて「労働団結」の重要性を説いた。労働者の組織化の方法は、今も昔も変わらない方法だとしても、この時代どれほどの抑圧下で取組まれたかを想像すると、ワクワクする。
世間的な出世、名声、地位には目もくれず、「義友会」の本部活動は高野房太郎らに委ね、常太郎は暴徒に襲われ、肺結核に冒されながらも、東京、横浜、神戸、大阪に駆けつけて労働者を励まし、情熱的に労働運動を指導していった足跡が、実証されている。

 巻末には、常太郎唯一の著書『戦後の日本矯風論』や「労働組合期成会設立趣旨」など、入手しにくい「原資料」も配されていて、近代労働運動黎明期の貴重な学びの書である。2015年6月初版だが、多くの書評掲載を経て、2016年に入って、重版がなされている。(伍賀偕子 ごか・ともこ 元「関西女の労働問題研究会」代表)