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『飾らず、偽らず、欺かず 管野須賀子と伊藤野枝』

 田中伸尚著(岩波書店/2016年10月/四六判240頁)

 
 「大逆事件」(1910−11年)で処刑された唯一の女性、管野須賀子(かんの・すがこ)。その約10年後、「甘粕事件」(1923年)で憲兵隊に虐殺された伊藤野枝(いとう・のえ)。女性を縛る社会道徳や政治権力と対決し、コンベンショナルから脱出し、自由を求めて疾走した二人の生と思想を、「歩いて書く」という書法で調べた関係者の証言や資料をもとに描き出した、読み応えのある示唆深い書である。
 書名の「飾らず、偽らず、欺かず」は、須賀子の獄中手記に書かれた言葉。
大逆事件」については、第59回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した、同著者の『大逆事件―生と死の群像』(岩波書店)に詳しい。
 二人は14歳違うが、思想系譜や活躍の舞台から考えれば出会いがあってもいい筈であるのに、権力・軍部の理不尽極まりない暴力によって、二人とも30歳前に命を断たれて、出会うことがなかった。須賀子の刑死の翌年に、野枝が表現の舞台にデビューしたことになる。
 著者によれば、須賀子は、みずからアナキスト無政府主義者と名乗った「最初の女性」であり、もともとクリスチャンのジャーナリストだが、国家ではなく個人の生や思想を尊重し、女性の人権を大事にする世界に変革するにはアナキズムだと考えるようになった。当時としては当たり前だった忠君愛国主義者だった彼女が、社会主義者との出会いの中で、その思想を変革成長させていく過程も丁寧に実証されている。
 そして、野枝も、堂々とアナキストを名乗り、女性としては、須賀子についで二人目だったと述べている。思想の自由が極端に狭められた「冬の時代」に、互いに出会うことがなかったとしても、見えないバトンを受け取ったのだと思うと、共通点を見出している。
 表現の舞台でも、短い人生の中で、多くの社会批評、小説、評論、エッセイ、歌、詩などを書き残しているのも、二人の共通点である。須賀子は、7年間で長短混ぜると170本、野枝は、11年間で約250本もあり、「圧倒される」と。本当に短い期間の、若くしての精力的な執筆である。―それらは、人は社会の中でどう生ききるかを語った、女たちだけでなく、男たちを含めた「私たちへの遺書」である―と。

 二人のもう一つの共通項、「恋の世界でも、めくるめくようでとても情熱的」だったと述べている。須賀子は、大逆事件の「首謀者」とされている幸徳秋水と、野枝は、上野高女の英語教師辻潤との恋を経て、同志大杉栄との恋である。社会からはもちろん同志からでさえ批判され続けたが、理不尽な官憲に共に抗らう同志として、困難なたたかいのなかで命をかけて愛と信頼を成就させていった生涯でもあったと。
 野枝の恋は、「生きぶりと同じように真っすぐで熱い恋のしぶきが飛び散っていた」し、須賀子は、大きな病を背負い、酷い弾圧にもめげず、おのれの心に素直に「飾らず、偽らず、欺かず」、愛と信念を貫き徹したと。
 二人が権力と軍によって、短い生を切り裂かれた、「大逆事件」「甘粕事件」の真相究明については、後の人々の「名誉回復と真相を明らかにする」運動によって明らかになった事実だけでなく、著者が訪ね歩いて得た関係者の証言も含めて、丹念に掘り起こされており、単発的にしかも捏造されて伝わっている「認識」を塗り替える、貴重な記録である。
 野枝の場合、栄との間に4人の子を産み育ているので、証言も多く紹介されている。軍医の「死亡鑑定書」については、「振るわれた凄まじい国家権力への想像力を飛翔させ、堪え難くなる」と。決して「冬の時代」の話として片づけるのでなく、語り継がねばならないと著者は強調する。

 ―日本が台湾と朝鮮を飲みこんで植民地帝国となり、さらなる大きな戦争へ驀進していく直前の険しい時代に、女性の解放と自由をひたすら求め続け、熱い心を抱いて駆け抜けた、勇敢で、鮮やかで、しかし切ない生と、それを踏みしだいた非道の記憶を再生し、語り続けたい。「冬の時代」が再び始まっているから―と。(伍賀偕子 ごか・ともこ 元「関西女の労働問題研究会」代表))

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飾らず、偽らず、欺かず : 管野須賀子と伊藤野枝