『岐路から未来へ』

共同通信社 編/2015年8月31日 柘植書房新社 発行/四六判270頁)

 本書は、2014年の1年間、週1回で計50回配信された同名の連載を1冊の本にまとめたものだ。「まえがき」では以下のように記されている。東日本大震災について「もし、人知を超える自然の力を率直に認め、自然と調和した生き方を選んでいれば、これほどひどい被害に、長期にわたって苦しむことはなかったのではないか。
 考えてみれば、それは核や環境問題に限らない。戦後の焼け跡から立ち上がり、復興を目指して七〇年。私たちはいくつもの岐路を経て、いまこの地平に立っている。ここまで歩んできて、顕在化しつつある問題は何か。私たちはどこで間違えたのか、あるいはこの道は不可避だったのか。
 岐路において差し出された課題をあらためて見つめたい。そして、その課題に正面から取り組み、克服しようとしてきた人たちを探し出し、その営みに耳を傾けたい。そこにこそ、未来を切り開く鍵が隠されているはずだ。そう願って取材を始めた。」

 取り上げられた分野は多岐にわたる。
 核や自然とのかかわりから人々の生き方を見直した「第1章 問う 核と暮らし」「第2章 共に生きる 自然と命」。
 地域で生活者として自立することの意味を考えた「第3章 根を持つ 地域と自立」。
 事実を記録し表現することを語った「第4章 刻む 生と死」。この章には、当館の谷合と三池展のメンバー前川俊行さんとが、それぞれ登場する。また「映像記録作家と移民」の記事中、岡村淳監督の写真はエル・ライブラリーで撮られた。うち、谷合の記事の詳細は、2014年2月13日の当館ブログに載せています。
http://l-library.hatenablog.com/entry/20140213/1392341164

 心身の病や老いと立ち向かう人々を描いた「第5章 治す 心と体」。
 国境や民族によって分断されることなく、人間がつながる可能性を示した「第6章 越える 国境と民族」。
 科学や技術を人が生きることにつなげようとする試みを追った「第7章 研(みが)く 技術と科学」。

 「まえがき」では、「一見、それぞれが独立しているようだが、結果として一つの問題意識に収斂した。それは、『人が人として豊かに生きるとはどういうことなのか』という問いだった。換言すれば、現代の危機とは『人間性の危機』なのだ」と述べられている。
 岐路における課題を見つめ未来への鍵を探すことを願って取材を始め、「人として豊かに生きる」という問題意識に収斂する。
この構図は本書の随所にあらわれている。たとえば、第1章は、資源獲得戦争としての太平洋戦争の体験をふまえ、戦後、核燃料サイクルによるエネルギー資源問題の解決を夢み、結局、核燃サイクルの無惨な現実に直面した元科学技術事務次官への取材から始まる。次いで、野生ハチミツ生産の夢を福島原発事故によって破壊された人、組織的な嫌がらせと闘いつつ反原発を進める市民運動家たち…と、続いていく。
 第2章では、里山風景そのものでどこまでが動物園でどこからが自然丘陵なのかもわからない動物園の取材から始まって、イリオモテヤマネコの保護、コウノトリ野生復帰、捕鯨論議における「食文化論」のねつ造の暴露、市民出資を中心にした風力発電、エコタウンなどの課題にかかわる人々を取材していく。
 第3章は、鉄道産業労働組合の地域に密着した取組みに始まり、地域の風土との調和を目指す建築家、国策や口蹄疫に振り回されながらも仲間たちと連携し土地改良を続ける酪農家諫早湾干拓事業めぐるさまざまな立場の人々、吉野川住民投票の体験を踏まえ「移動スーパー」の事業に取り組む人…などなどが描かれ、琉球独立論で終わる。
 本書は、新聞記事として読むのと書籍として読むのとでは、印象が違うかもしれない。書籍化してはじめて、あるいは書籍化していっそう、あたかも群像劇のような側面が立ち現れ、「人として豊かに生きるとはどういうことか」というテーマが「結果として」浮き彫りになっていく。

 なお、本書について一度、発行直後の時期に当館ブログに載せています。(ボランティアN)
http://l-library.hatenablog.com/entry/20150911/1441971726