漱石の個人主義 ~ 自我、女、朝鮮

関口すみ子海鳴社/2017/四六判310頁)

 

 著者は、元法政大学法学部教授で、思想史、ジェンダー史が専門。

 著書も、『御一新とジェンダー』(東京大学出版会/2005年)、『管野スガ再考』(白澤社/2014年)、『近代日本 公娼制の政治過程』(白澤社/2016年)をはじめ、ユニークな実証的研究が多いが、本書は、夏目漱石の作品群を詳細に読み解き、漱石のヒストリーをも追う、興味深いものである。

― 漱石の「個人主義」は、「個性」の尊重という思想、すなわち、人間それぞれの独自性・独創性を発現させるべきだという信念である。そうした漱石は、貧富の問題も、各自の個性、もって生まれた可能性のこの世での実現という観点からとらえ、それを「権力」「金力」批判の足場とするのである。―(「まえがき」より)

 構成は、二部十章からなり、漱石フアンにもそうでない人にも、どれだけ多くの作品群が丁寧に分析されているかを知ってもらうために、長くなるが、目次を紹介する。

  • 私の個人主義― 私は私自身を代表している
  • 文鳥」「夢十夜」「心」から探る“意中の人”―「それから」の前夜
  • 楠緒・保治・錦之助― テキスト外のこと
  • 愛せない男―市蔵(『彼岸過迄』)の燃えない愛と燃え上がる嫉妬「嫉妬心」
  • 「行人」― 猜疑の拡散と、震源地・愛嬌のない女
  • 「現代の青年に告ぐ」から「先生の遺言」へ―「野分」と「心」の間

  付 「心」と親鸞

  • 「道草」等に見る、子どもに対する精神的虐待の諸形態

  付 漱石と禅、女

― 漱石が1909から1911年にかけて経験したこと

  • 進化する「細君」― 「野分」「門」「道草」から「明暗」へ
  • 持たざる者と持てる者― 「明暗」の人々

「あとがき」にかえて― 小説に遺された“美しい女”たち

 著者によれば、第一部では、体面的な、身近な人間関係での「自我」の探求、第二部では、社会的な規模での「自我」の探求という観点での構成となっている。

 漱石作品には、独特の女性の内面への観察が叙述されているが、「女なんかに何がわかるものか」「黙っていろ」「どうせ女ですわ」とにらみ合っていた「吾輩は猫である」から、「明暗」までの長い間に良人と細君の関係は長足の進歩を遂げた―と述べられている。江戸文芸の世界にどっぷり浸っていた漱石が夫婦の対等に向けた改革を志向するようになると、その進化を分析している。だが、漱石作品には、着物や帯を質に入れるのは別にして、自分で働いて収入を得るという女性が、ヒロインどころか、「下女」(家、食堂、宿)と看護婦の他はほとんど登場しないのである。遊廓の影はときに見え、芸者も姿をのぞかせることがあるが、「職業婦人」や「女教師」「女工」の姿はほぼないー と。

 本書の帯の紹介では、― 「韓国併合」前後の漱石の動きについても、新たな見方を提示― とうたわれている。だが、― 国家と軍事力を背景にした植民者とそれに伴う諸問題という視覚が、「満韓」を語る際に微塵もなく、それどころか、日本人が意気軒昂としていてよかったという態度をとっているのである―と厳しく指摘している。ただ、「満韓ところ〴」を経て「門」に至る過程では、社会など、より大きな規模での自我の探求という課題に入っていくとされている。

 文学作品としての漱石評価は、多くの研究があると思うが、本書の視点は非常に興味深く、漱石を理解する上での示唆に富んでいる。(伍賀偕子:元「関西女の労働問題研究会」代表)