『写真記録・三島由紀夫が書かなかった近江絹糸人権争議~絹とクミアイ』

『写真記録・三島由紀夫が書かなかった近江絹糸人権争議~絹とクミアイ』

本田一成(新評論/2019年2月/A判204頁) 

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 本書は、1954(S29)年、106日間に及ぶ日本最大級の労働争議=近江絹糸人権争議について、この争議を取材した三島由紀夫が作品化した小説『絹と明察』には書かれなかった、労働争議そのものを真正面から取り上げた書である。

 この歴史的な大争議については類書が多いが、本書は「これまでの本ではないような形」で、「写真記録をベースにした本」をという著者の目的意識で編纂されて、書名も「写真記録」とされている。この企画に、近江絹糸労組彦根支部長の朝倉克己氏(2012年と2014年に近江人権争議の本を2冊上梓、そして三島由紀夫の小説のモデルでもある)をはじめ各地のOBOG会の人たちや、オーミケンシ労組、全繊同盟等から600点近い写真が寄せられ、厳選の末に200点を超える未公開写真が、本書に掲載されている。どの写真にも丁寧なキャプションがついていて、写真提供者への取材も含めてものすごいエネルギーが費やされた書となっている。これらの解説に導かれて、各場面に登場する人びとの真剣で生き生きとした表情や迫力が読者に迫ってくる。貴重な歴史的価値を生み出した書となっている。

 著者は、この人権争議に関する既存の文献におけるウイークポイントを5項目あげて、たとえば、★1954年の人権争議だけでなく、後の「企業再建闘争」に触れられてない ★本社労組の結成が導火線となった多発的争議であるが、彦根支部に集中しがちである ★労使が多様な争議戦術を駆使して、労使関係論の教科書のごとき争議の展開だが、労働組合論や労使関係論に依拠したコメントが少ない、★争議を指導した上部組合の全繊同盟の方針への分析が少ない― 等である。

 著者は、三島由紀夫が書かなかった「労働争議」について、争議を経験したことがない今の世代にもわかるように丁寧に、本文や注で解説している ―ストライキ、ピケ、ロックアウト、団体交渉権・・・というように。

 工場周辺の住民・市民への訴え、組合員家族への会社側の画策(“全繊に騙され操られている”)に対する説得活動、他産業も含めて広範囲の労働組合からの支援拡大、中労委や国会、ILO提訴など、地域から国際世論へも支援戦線を拡げる戦略、莫大な闘争支援カンパ(闘争費用以外に、組合員の生活費を1か月1人約5,100円計上)― 等々、組合結成オルグから争議指導に至るまでの全繊同盟の「集権制」の分析が第5章でなされている。その方針は、一貫して成功を重ねたわけではなく、失敗もあり、「言ってみれば、全繊同盟も若き産別組合であった」と著者は言う。この争議指導体験が全繊同盟強化の一助となったと言えるのだろう。

 この争議が「人権争議」と呼ばれる所以は、組合結成時に会社へ提起された22項目の要求―仏教の強制反対、結婚の自由、外出の自由、信書開封・私物検査反対、月例首切り反対―等に示される、信じられないような人権破壊に対する怒りから発せられた起ちあがりだったからであり、国民的な支援と反響を呼んだのである(言わずもがなのことだからか、22項目の要求全文の掲載はない)。また、会社側が争議つぶしに暴力団を雇ったことも世論を敵に回した。

 全繊同盟は1946年に結成されて1950年10月総評へ加盟したが、1953年11月に総評を脱退して1964年にナショナルセンター同盟結成の盟主となった、いわば総評と対抗する組織である。近江人権争議の時期は全繊同盟が総評を脱退する前後と重なっており、本書では、「左右の対立」と表現されている。

 しかし、この人権争議に対して総評は「共闘」を表明し、高野実・総評事務局長が大垣工場を激励訪問している。上層部の幹部段階の動きはさておくとしても、大阪総評婦人部は緊急常任委員会を開催して近江絹糸労組の争議支援街頭カンパを決定し、54年6月末~7月上旬の4日間、5所のターミナルで延べ102人が街頭カンパを訴え、70,940円を集めて岸和田支部彦根支部に持参手交し、組合員と懇談している(『大阪総評婦人運動年表』より)。当該ではない呼びかけにでも、これだけの支援が街頭で示されるほどに、この人権争議に国民的関心が寄せられたのである。

 たたかいは人を変え強くすると言われるように、この争議によって生き方が決まった人、差し入れのお握りやカンパに涙した感激に、「連帯」を信じる人生を歩んだ人(逆に会社側の軋轢に堪えられず3名が自害するという悲惨な出来事もあったが)― たたかいが切り拓いた豊かな出会いと絆を、後世の人たちに伝えたいと願う。(伍賀 偕子〈ごか・ともこ〉元「関西女の労働研究会」代表)