エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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新着雑誌です(2022.3.17)

今週の新着雑誌です。

新着雑誌のうち最新のものは貸出できません。閲覧のみです。

労政時報 4031号 2022.3.11 (201417318)

労務事情 No1444 2022.3.15 (201417425)

賃金事情 No2844 2022.3.20 (201417458)

月刊人事マネジメント 375号 2022.3.5 (201417409)

労働経済判例速報 2470号 2022.2.28 (201417375)

労働経済判例速報 2471号 2022.3.10 (201417342)

労働判例 No1257 2022.3.15 (201417482)

季刊労働法 276号 2022.3.15 (201417516)

労働基準広報 No2092 2022.3.11 (2014417433)

 

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新着雑誌です(2022.3.9)

今週の新着雑誌です。

新着雑誌のうち最新のものは貸出できません。閲覧のみです。

賃金事情 No2843 2022.3.5 (201417300)

労務事情 No1443 2022.3.1 (201417508)

企業と人材 No1109 2022.3.5 (201417334)

人事実務 No1230 2022.3.1 (201417367)

労働判例 No1256 2022.3.1 (201417391)

労働基準広報 No2089 2022.2.11 (201417441)

労働基準広報 No2091 2022.3.1 (201417474)

 

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『イギリス産業革命期の子どもと労働 労働者の自伝から』

ジェーン・ハンフリーズ著 ; 原伸子、山本千映、赤木誠、齊藤健太郎、永島剛 訳.   法政大学出版局,  2022.2   21cm  598p

https://www.hanmoto.com/bd/img/9784588645488_600.jpg?2022-02-15T14%3A21%3A14%2B09%3A00

 著者のジェーン・ハンフリーズは、オックスフォード大学名誉教授。専門は経済史で、1995年に成立した国際フェミニスト経済学会の創設メンバーであり、1999年~2000年には、同学会の会長を務めている。

 本書は2010年の著作であり、18世紀末から19世紀中葉にかけて児童労働を経験した労働者617人の自伝をもとに、「大量の児童労働を用いたイギリス産業革命」の姿を描いた。2011年に、アメリカ経済史学会のジェルジ・ラーンキ賞を受賞。

 日本では、原伸子・法政大学経済学部教授による「書評」が、早くも2013年1月の『大原社会問題研究所雑誌』で発表されている。原伸子ほか5名による翻訳作業は2017年より開始され、訳語統一や著者との意見交換を経て、2022年2月に刊行された(5名による翻訳と研究課程についても、2021年2月の『大原社会問題研究所雑誌』の特集として発表されている)。

 

産業革命を支えた労働者と家族の真実――617名の自伝を通して>

600頁にも及ぶ専門的研究結果を本欄で紹介できないので、翻訳者を代表しての原伸子の「あとがき」に沿って、本書の意義を伝えたい。

 描かれているのは、「勇ましく、男性的で、進歩的なものとして・・・鎖を解かれたプロメテウス」として描かれることが多い産業革命ではなくて、この歴史的過程を背後で支えていた子供たちとその家族の姿である。

 ハンフリーズは、労働者階級の自伝を数量的方法と質的方法の両方を用いて分析している。

 前者の方法からは、仕事を始めた年令、就学期間、徒弟就業の開始年齢や継続期間、教育や職業訓練の報酬などが示され、新たな評価が可能となる。

 後者の方法からは、児童労働を行う子どもと母親の関係生活の危機に陥ったときの避難所としての親族の利他的行動、救貧法の救済を受けるシングルマザー世帯、さらに19世紀の労働者階級の貧困な孤児が「やる気をみせること」で自らを鼓舞する様子、徒弟制度が子どもの職業訓練に果たした役割、1833年工場法における児童労働規制と半日教育制度の導入によってやっと新鮮な空気を吸えるようになった子どもたちなど――の声を聴くことができる。

 ハンフリーズは、自伝の著者を、生れた時期に応じて4つのコーホートに分けて児童労働開始時期を調べている~ 第1期(1790年以前)第2期(1791~1820年)第3期(1821~50年)第4期(1851~78年)~。伝統的な産業革命期である第2期と第3期は、開始年齢は平均して約10歳、第1期では、11.50歳、第4期からは11.39歳となっている。従来10歳以下の児童労働は限定的で一時的だったとする歴史家への反論である。炭鉱夫、工場労働者、下請け労働者、臨時雇用労働者、兵士の息子たちはみな、10歳以下で働いていた――と。

 児童労働の理由はほとんどが「貧困」のためである。617人のうち、3分の1の子どもがシングルマザー世帯で暮らしていた。その多くが、救貧法の「院外救済」を受けており、子どもたちはいつも飢えていた。また、救貧法における貧困救済がしだいに「自助」を条件にするようになったことも児童労働の要因としてあげられている。

 原伸子は本書が提示している4つの論点をあげているが、筆者が興味深いのは、4点目である、男性稼ぎ手モデルが18世紀末のイギリスで成立していたこと。従来、多くのフェミニストたちは、「男性稼ぎ主家族」の成立は男性中心の労働組合、労働保護立法、家族賃金キャンペーンによるものと共有してきたが、この標準的理解に対する問題提起でもある。

 

<児童労働に対する著者からのメッセージ>

 最後に、著者ハンフリーズの「日本語版への序」から引用する。

本書で描いた子どもたちの多くは、成長して大人になってから、児童労働を終わらせるために闘ったり、少しでも労働条件をよくして、後に続く世代のために状況を改善しようとしていた。残念なことに、この課題はまだ続いている。現代世界においても、児童労働が若者や無垢な子どもたちの将来をむしばみ続けている。願わくは、本書で描かれた幼い頃に児童労働者であった人々の苦しみと冷静な心が、現代における児童労働を終わらせる運動に寄与できますように(p. viii)

 (伍賀 偕子 ごか ともこ)

所蔵資料紹介~辻󠄀保治資料(近江絹糸紡績労働組合関係資料)

27.職場新聞(20)ふるさと

 職場新聞の文芸欄には、ふるさとへの帰省や親きょうだいについての詩や雑感があふれている。

あいたい かあちゃん
台をまわしていると浮んでくるわ
母の姿
今頃何をしているかしら
あのしわくれた手で
汗をながして
今日も、くわと、競争しているだろう
早くかえりたい
でも汽車賃がない
汽車賃どころか、赤字だ
早くあいたい
お母さんに」(絹紡製綿『蛹粉の中で』13号3面) 

 

工場での体験を通じ、母の生き方への客観的な眼差しも。

お母さん
毎日
あのの臭い魚と共に
仂いているかあさん
十人の子供を生んだかあさん
かあさんはなぜ
そんなにもくもく仂いているの
もう白髪が一本二本とみえ出したのに
「芳子や
着物をつくるために仂くのやで…」と
いつか帰省した時に
かあさんはいった
私にはわかる
しかし
かあさんは
ただ仂くだけで
なぜか?
どうしたら?
と云う事を考えないのね
昔も今も
変らぬ貧乏暮しのかあさん」

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綿・スフ紡仕上『じんし』4号6面

  帰省は実家の労働と工場の労働を比較する機会ともなる。
田舎と製綿の仕事
久し振りになつかしい故郷にと足をむけた朝は、皆が夜ねむってる頃起きて車を引いて出ていく、そして露のあるうちは稲をこぐ、あたり一杯ひびき渡る音を立てて、となりの音と競そって仂いているように…
その后ではわらを束ねて行く母、稲を渡す私/露が落ると稲を刈る ざくざくと、歯ぎしり良く大きな音を立てて兄と競争する私、刈った后をふりむけば、小学生の子供のようにずらりと一列に並んでいる、面白いようだがなかなか腰の痛い仕事、「彦根とどちらが良いか」とたずねる母、その時私は、自分の仕事が良いのに気ずいた、えらいとえらいながらも八時間と定められた仕事の方が楽だ
皆さんこれからも元気で仂き、明るく楽しい職場にしましょうね、農家生れの一女性」(絹紡製綿『蛹粉の中で』9号4面)

 

 一方で、彼ら彼女らの得る収入は、実家の生活を支えている。
援助金をもらってたらおもちやも買えない
一寸はずかしいけど今思っていることを書いて見る。この間、母よりから(ママ)便りが来た。
その手紙に、弟の分も入っていた。
「お正月には、雑記と野球のクローブとバットを送って下さい。と書いてあった。
母の便りを読むと色々苦しい生活の模様と、弟がこんな手紙を書いて姉ちゃんに出すといってきかない。
でも家の生活は、村の援助金をもらっているような状態なので、近所のことも有るので送ってくれるな。
「お金でならいいけど」と書いてあった。
村の援助金をもらっているのがどうして悪いのだろう。
子供に本や、遊び道具をあたえるのに、なんで近所が、とやかくいわなければならないのだろう。私にはわからない。ボーナス、給料がもう少し多ければ、月二千円ぐらいの援助金の分ぐらい、送金できるのになあ。今の私じゃ月千円の送金だけでぎりぎりなんだもの。本当に弟妹たちに気がねして生活している母がかわいそうでたまらない。」(絹紡ガス焼『ほのお』10号2面)

 

 ボーナスの喜びも自分ひとりのものではない。
母にも毛糸のトッパーを
ボーナス■万円もらた。びんぼうな生れてはじめて持つ大金で故郷のお母さんには何を送らうかしら。いつも子供、子供といって自分ではボロを着て冬になると手でひヾだらけにして仂いていた母、あまり高いも【一行判読不可】のトッパーを送らう。お父さんは酒がとても好きだったけど、まさかお酒を送るわけにもいかないだろうから足袋でガマンしてもらおう、兄さんはカメラがほしいと夢中でお金をためていたけど、もう買えたかしら、少しお金を送ってやろうか、それともネクタイにしようかな、妹は雑誌とよく勉強する様に学用品セット、弟は勉強なんか 一寸もしないで遊んでばかりいてよく食べる子だから、おかしでいヽかな、喜ぶだろうな、でもこの前家に帰った時、妹が一寸さ、やいたっけ「姉さんが小包を送ってよこしたらお母さんがとてもおこるよ だけどやっぱりうれしいんだってさ、お母さんは」(絹紡ガス焼『ほのお』10号1面)

 

 そして、「スト娘」と自称する彼女は、人権争議の経験とともに同窓会に出席する。
話す事が出来る様になった
同窓会出席に当って今年は私が卆業して、始めて同窓会があるとのこと、先月も連絡がり((ママ))大変嬉しくてならない。
でもその反面何かひけめを感じる、スト娘と云われないかしら、どう質問されるかちよっと心配です、でも安心安心中学時代だったら人前で話す事も出来なかったんだわ、でも現在の私はちがう、あのストがあってからは発表出来る様になっている、みんなの話し合いの中から伸びて行く職場や組合、自治会の話、団結の力で勝ち取った一時金のことをみんなに話して■■たい。」(絹紡ガス焼『ほのお』10号1面)

(下久保恵子 エル・ライブラリー特別研究員)

 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。

 

新着雑誌です(2022.2.27)

今週の新着雑誌です。

新着雑誌のうち最新のものは貸出できません。閲覧のみです。

労政時報 4030号 2022.2.25 (201417417)

労働経済判例速報 2469号 (201417359)

労働法学研究会報 No2759 2022.2.15 (201417383)

労働基準広報 No2090 2022.2.21 (201417326)

 

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所蔵資料紹介~辻󠄀保治資料(近江絹糸紡績労働組合関係資料)

26. 職場新聞(19)お笑い

 職場新聞には、肩の力の抜けたお笑い記事もある。
運搬車ガール
ガール「皆様こちらは晒練でございます」
おばあさん「あんれまあくさい所ですねえー」
ガール「たヾいまから発車致します。皆様気をつけて下さい
では発車―」
歌 晒練道はガタボコで、ちょっとでもボサッとしているとひっくりかえる
ガール「そちらにみえますのは、洗濯場でございます」
おばあさん「ほほ……う」
ガール「それからこちらにみえますのは晒練で最も名高いフカソ(注1)でございます。これは今から三百年ほど前に、出来たものだそうでございます」
おばあさん「なるへそなあーなかなか美しいですなァー」
ガール「では大体終りましたのでこれからフカソの中に二日程とまっていたゞきますので皆様ごゆつくりお休み下さい」
おばあさん「ではお休みなさい」
ポタン
(これは器生(注2)の事を云っておるのです)では又来週  Y.K.」(絹紡晒練『晒練職場新聞』11号4面)

 辻󠄀保治資料中の『調査月報』NO.5(近江絹絲紡績労働組合調査部発行)所収「県別在籍人員調査表(1955年4月度)」によれば、彦根工場の労働者2,133人の出身県は、一位が鹿児島県399人、二位が宮崎県208人、三位が秋田県164人となっている。その他、100人を超えているのは、島根県愛媛県滋賀県と、彼らの故郷は北海道を除く全地域に散らばっていた。
 寮の部屋で交わされるお互いの方言はさぞ珍しかったことだろう。
お国なまり
鹿児島「キュウ ヨカ テンキジャゴワハンナ」「ホンニ ヨカテンキゴワヒナ」
長野野(ママ)「コノカキャァ、アケーガ シビーズラ」
名古屋「ゴミャース」「オイデヤス」「アツイナモ」「フントニ ドーニモナランギャイモ」
宮崎「コラッ ワヤ ドキイットヨ」「オイカ、■■サキノバアサンカテ」「エーホンナラ イタッキョ」
江戸ッコ弁「ケンチャン マッテテヨ スグダカラサ」「ヤーダナアイッチャウヨ」「ジャーイッチメー アトカラ スットンデクルカラナ」
山形「オラーシャーネッータ」
 ☆お国なまり☆[標順(ママ)語]
鹿児島「今日はよい天気ではないですね」「本当によい天気ですね」長野「この柿は赤いがしぶいなあ」名古屋「御免下さい」「いらっしゃい」「暑いですね」「本当にどうしようもありませんね」宮崎「おい、君どこにいくのか」「わしか、私はそこの先のおばさんの所」「あゝそうか、行ってこい」(絹紡晒練『晒練職場新聞』14号2面)

 笑いばなしには、他愛のないものもある一方、労働者の状況や時代を映すものもある。
「笑いばなし
次郎「お父ちゃん」
父「なんだい次郎」
次郎「お父ちゃんの頭 はげてるネ
父「お父ちゃんは小さい時苦労したからだヨ」
次郎「ホント。そこににあるやかんも、小さい時苦労をしたのネ」
父「……」   (綿・スフ紡仕上『じんし』6号2面)

「笑話
現在の食事
工場長「今朝の飯は麦よりも三十粒多い、不経済だ」
水炊係「私は計量器ではありませんからね」
工場長「でもあれだけ半分にするように云ったじゃないか」。
△日本斯く戦えり
A子「天高く馬こゆる秋だね」、
B男「女心と秋の空か」、
A子「男心と秋の空よ」、
B男「ちがうよ、男心と特攻隊の空だ、思い切ったことをするから」、
△男子作業服を見て
自民党「あれは自衛隊みたいだね」
社会党「ちがうよ、自衛隊がまねしているんだ、やがて我々とスクラムを組むようになるのだ、日ソ交渉がすんだら」(絹紡ガス焼『ほのお』7号4面)

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綿・スフ紡仕上『じんし』4号3面

金時さん時評
「新人教育の不充分さ」
「お姉さんストって仕事しながらするの?」
「デモ行進したらだれか一人は死ぬでしよう?砂の女みたいに」(綿・スフ紡仕上『じんし』4号3面)

 

(注1) 腐化槽のこと。晒練では、深さ約1メートルの腐化槽が100個以上、列をなして、床下に埋め込まれていた。ソーダで煮沸・攪拌した後の原料を漬けて腐敗させ、セリシンを除去し、絹繊維の原料綿を得る。
(注2)器生(キキ)は絹糸紡績の主原料の一つ。製糸工場では、繭を熱湯で煮て、掃きたて、絹糸の糸口とするが、その際、糸口となったもの以外の諸糸をはぎとったものである。

(下久保恵子 エル・ライブラリー特別研究員)

 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。

新着雑誌です(2022.2.20)

今週の新着雑誌です。

新着雑誌のうち最新のものは貸出できません。閲覧のみです。

賃金事情 No2841 2022.2.5 (20141760)

賃金事情 No2842 2022.2.20 (201417268)

労務事情 No1441 2022.2.1 (201417128)

労務事情 No1442 2022.2.15 (201417094)

ビジネスガイド No915 2022.3.10 (201417243)

労働経済判例速報 2468号 2022.2.10 (201417201)

労働判例 No1255 2022.2.15 (201417151)

労働判例 No1254 2022.2.1 (201417185)

労働基準広報 No2088 2022.2.1 (201417235)

賃金と社会保障 1795号 2022.2.10 (201417219)

労働法律旬報 1989号 2021.8.10 (201417284)

労働法律旬報 1990号 2021.8.25 (201417078)

労働法律旬報 1991号 2021.9.10 (201417276)

 

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