エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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『風となれ土となれ 山野和子記念文集』

 “均等法の山野”で知られる、総評(日本労働組合総評議会)婦人局長、山野和子(1927-2003)の追悼集。
 国連婦人の10年が始まった1976年、総評常任幹事及び婦人対策部長(後に婦人局長)に就任し、1989年総評解散まで、婦人局長を務めた。1980年代から本格的展開となる、労基法改悪阻止・男女雇用平等法制定運動のトップリーダーとして、国会闘争をはじめ、労働省前を全国の女性たちの座り込み部隊で2ヶ月間2度にわたって埋め尽くす大衆運動を組織し、労働4団体や女性団体の意見と行動をまとめて、政府・財界と対峙する歴史的な役割を果たし、“均等法の山野”の名を馳せた。総評解散直前にくも膜下出血で倒れるも、解散時には復帰して幕引きをやりきる。
 強固な意志でリハビリに挑み、1992年には、フォーラム「女性と労働21」を結成し、情報誌『女性と労働21』を発行して、多くの研究者と共に、労働運動や社会政策に提言と情報を発信し続ける。他界後もこのフォーラムは彼女の遺志を継いで継続されている。

 本書の構成は、第?部が各界のトップリーダーにテーマを設定して業績を讃える追悼の言葉「あなたはたいしたヒトだった」で飾られている。トップに登場するのは、均等法制定時に対峙した当時労働省婦人局長の赤松良子の「鮮烈な瞬間」で、「敵として不足なし」と語らしめている。ここで述べられている、均等法成立直前の審議会をめぐる緊迫した攻防はNHKの「プロジェクトX」で特集され、評価は別として、均等法評価の歴史的資料となっている。
 また、上記のフォーラムで活躍する多彩なオピニオンリーダーたちが、賛辞にとどまらない、彼女の人となりや豊かな出会いを、それぞれに語っている。
 第1部はフリーに、共に活動した人々が「それぞれの思い出」を語る。彼女の卓越した指導力とネットワークの広さとが余すところなく示されている。総評女性運動の中で大きな運動経験を共有した思い出と指導者としての存在感も、登場する筆者たちの中に今も生きている。
 第2部で、2004年9月24日、彼女の古巣である「総評会館」で開催された「風となれ 土となれー山野和子を偲ぶ会」の模様が写真と共に再現されている。
 3部は均等法施行10年をふり返っての講演録で、制定時の苦渋の選択が伺われ、均等法評価の歴史的資料として貴重である。

 最後の「活動年譜」によれば、1927年三重県鈴鹿市に生まれ、1948年電電公社東海支社(現NTT東海支社)に入社。1951年全電通東海電気通信局支部執行委員をスタートに、53年には愛知地区執行委員として専従、55年〜1960年には全電通中央本部執行委員に専従し、総評の婦人協議会結成に尽力し、1956〜58年婦人協議会副議長を務める。1960年より、全電通東海地本に戻り、1976年まで名古屋支部副執行委員長、同書記長等を歴任。調査や交渉の中心を担いつつ、歴史的な全電通の育児休職や短時間社員制度創設について、一方の論客として重要な役割を果たした。

 私事ではあるが、評者も、山野局長が率いる労基法改悪阻止・男女雇用平等法制定運動を大阪総評オルグとして地方で担っている立場から、「審議会論議が見えない、大衆運動でこそ突破すべき」と、審議会に封じ込められないたたかいを、事あるごとに主張してきた“若僧”だったが、第?部でも第?部でも、登場する光栄に浴している。(伍賀偕子)

<書誌情報>
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風となれ土となれ 「山野和子さんを偲ぶ会」実行委員会 2005

<関連資料>

  • 男女雇用平等の法制をめぐるたたかいの経過と今後のとりくみ 総評婦人局

  • 男女雇用平等の法制化を中心とした'84春闘における婦人労働者のたたかい 総評婦人局

  • たたかいぬいた中央行動の記録 日本労働組合総評議会・婦人局