エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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『大阪砲兵工廠物語~創立150年 新聞記事を中心に』

『大阪砲兵工廠物語 創立150年 新聞記事を中心に』

 久保在久著(耕文社/2019年5月/四六判112頁)

(写真はWikipediaより。化学分析場跡)

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 本書は、大阪砲兵工廠(戦前日本最大級、アジア最大級の兵器工場)が大阪城周辺で作業を開始して150年という節目を機に、久保在久によりまとめられたものである。

 久保による「大阪砲兵工廠」に関わる著書は、本書が初めてではなく、1987年に日本経済評論社から『大阪砲兵工廠資料集』上巻、下巻『大阪砲兵工廠衛生調査報告書』が上梓されており、「日本産業技術史学会資料特別賞」受賞に示されるように、高い評価を得ている。

 本書は、そのような蓄積の上に、戦前・戦後の「大阪毎日新聞」「大阪朝日新聞」記事を中心に4年をかけてマイクロフイルムを総当たりして検索し、読みやすさを意識して編纂されている。全体の流れは、「明治期」「大正期」「戦前昭和期」「戦後期」に区分して時系列に記述されており、300項目に近い見出しがそのまま目次になっていて、どこからでも読み始められる構成となっている。

 著者による「大阪砲兵工廠」史料収集と紹介は、「大阪産業革命の原点」という視点が重要な軸となっている。幕末から明治にかけての兵器のうち大砲は、輸入品で粗悪なものが多く、砲兵工廠の整備が急がれて、東京では銃砲を、大阪では大砲を製作することになった。日本最後の内戦となった西南戦争(1877年)における官軍の兵器補給廠の役割を大阪砲兵工廠が担ったこと、日清戦争日露戦争における工場敷地拡張が記述されている。兵器製造・修理が主目的とは言え、西欧先進国の最新技術が導入され、技術革新の蓄積が図られるなかで、大正期には、全国各地や海外からの特別注文に応じ、軍用自動車をはじめ関連企業でのアルミニウム製器具等の製造の技術移転がなされた。

 職工の労働実態や生活についての検証が刻銘なのが、本書の特徴でもある。大正5年4月には、職工26,000人、(うち女工2,000人)従業員5,000人が在籍、退職者が月に600人いる代わりに、採用者が1,000人もあり、差引毎月400人が増加している計算になる。

 出入りが激しい裏には、労働者の負傷・疾病率が高く、疾病統計も詳細に追跡されている。当然のことながら、労働者の不満・鬱積は激しく、陸軍省直轄の工場で最初の労働争議が、明治39(1906)年7月1日に起きている。日露戦争後の1,600名馘首に対して、退庁する官吏を職工が襲撃する事態に、玉造署からの警部派遣で鎮圧にかかったが、11月には、職工1万人を糾合して2名の代表を選出して、賃上げ交渉に及ぶが、当局はその2名を解雇、反抗を強めた職工は、18,000人を結集して20人の代表を選出して、要求項目を提起、職工が4~5人集まれば、直ちに憲兵が解散を命じるが、助役が袋叩きにされて川に投げ込まれる事件が何件も起こるという繰り返し。職工側は団結を強め、解雇された10名の生活費全額を拠出金で保障しあった。かくして、大正8(1919)年11月9日、大阪砲兵工廠労働団体「向上会」が誕生し、八木信一会長が選ばれる(発会式は森ノ宮小学校雨天体操場で、1周年記念大会は中之島中央公会堂)。当局側は、家族慰安会等の懐柔策をこらす。

 八木信一は、大正10年「全国官公業総同盟」発会のイニシャティブをとり、普選運動盛り上げのリーダーともなり、厳戒下の大阪最初のメーデー(大正10=1921年)での総指揮者にもなっている。だが、陸軍省直轄の工場でも、「向上会」の左傾化は避けがたく、ついに、八木信一は排斥され、「純向上会」を結成して(大正11年)その会長となり、大正15年には「関西民衆党」を結党しその執行委員長にも就くなど、戦前労働運動の大リーダーの位置を築く。両者の対立は激化し、一触即発の事態を招くが、如何に弾圧を強めても、労働者の不満鬱積=左傾化は避けがたい必然であることは、詳細な検証が語っていて、興味深い。

 大阪砲兵工廠は、1945年8月14日、アメリカ軍のB29爆撃機145機の空爆により壊滅した。この大爆撃は傍の国鉄京橋駅をも直撃して乗客217名が死亡、京橋駅南口に「慰霊碑」が建立されて、毎年8月14日に慰霊祭が実施されている。

 著者は、中学卒業後電気通信省(現NTT)のモールス通信士となり、定時制高校、立命館大学日本史専攻で学び(病気で中退)、「歴史の面白さにのめり込んだ」。その職場=全電通大阪中電支部は数多くの労働運動リーダーを輩出した現場であり、著者の描く労働実態や労働者の反撃のさまの鋭さは、流石“中電出身”と頷かされる。

大阪砲兵工廠とその労働運動については、『大阪社会労働運動史』(社運協発行)第1巻2巻の久保執筆文に詳しい。久保は、この『大阪社会労働運動史』だけでなく、『大交史』をはじめ、全港湾や合化労連等多くの労働組合史を編纂し、『大阪の部落史』刊行にも参画、『近代日本社会運動史人名事典』(日本アソシエーツ)にも執筆していて、歴史研究者として、知る人ぞ知る貴重な存在である。

(著者は元号主義者ではないが、時期区分がわかりやすいように、元号表記を使用したと断っている)。(伍賀偕子〈ごか・ともこ〉、元「関西女の労働問題研究会」代表)