エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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『ハンセン病療養所と自治の歴史』

 松岡弘之著『ハンセン病療養所と自治の歴史』(みすず書房、2020年2月)

ハンセン病療養所と自治の歴史(表紙)

 1909年、大阪市尼崎市の境を流れる神崎川河口の中州(大阪市西淀川区中島)に、2府10県の第三区連合府県立外島(そとじま)保養院が開設された。1934年の室戸台風で外島保養院は壊滅、1938年に岡山県瀬戸内市長島の西端に「光明園」として復興、1930年には国立療養所第1号の長島愛生園が東端に開園していたので、長島は公立、国立療養所のある隔離の島となった。光明園は1941年に国立に移管し、「邑久光明園(おくこうみょうえん)」となり現在にいたる。

 著者は、1995年、阪神・淡路大震災後に被災地での歴史資料保全活動に参加、その後ハンセン病と出会い長島に通う。岡山県ハンセン病問題関連資料調査専門員・邑久町編集委員会近現代史部門専門委員として、邑久光明園、長島愛生園所蔵の行政文書、手紙、日誌、会議記録の調査、『長島は語る』(岡山県)及び『邑久町史』(現瀬戸内市)刊行に関わった。その後、大阪市史編纂プロジェクト、尼崎市立地域研究史料館職員として外島保養院に関連深い地で研究を続けてきた。

 何より、大阪にあった外島保養院の自治についての先駆的研究者である。

  本書は、大阪市立大学院に提出した学位論文「近代日本のハンセン病療養所における自治の成立と展開」を一般の読者に届く言葉で、書き改めたものである。外島保養院と長島愛生園を主に分析の対象とし、第1は、ハンセン病入所者の存在を、歴史のなかを生きた人々として位置づける。第2は、自治会活動という集団的実践を考察する。第3に入所者の自治を時代のなかに位置づける。以上の3つの狙いから近代ハンセン病療養所に生きた人々の苦難と希望に、そこで取り組まれた入所者の自治から迫るものである。

 序章では、1990年代以降のハンセン病問題の歴史的研究、2000年以降の流れと現状について述べている。

 第1部では、第三区連合府県立外島保養院を考察している。全国5か所に設置された公立ハンセン病療養所のなかで自治会がもっとも早く成立した療養所でもある。

外島保養院における自治は入所者管理の方法として初代院長が1915年に許可し、定着を支援した。1926年に村田正太2代目院長が就任すると、自由主義的な運営を貫き、療養所をユートピアにと自治を育てた。院内の患者作業は、自治会の作業制度として運営していった。

 大正デモクラシーの影響下で、社会主義思想も院内に及び、「日本プロレタリア癩者解放同盟」が結成された。自治会運営方針を巡って急進派、保守派と対立を深め、1933年8月には、プロレタリア・エスペラント運動に関わる職員等の検挙によって院内は動揺し、自治会は急進派追放を求め、院長も辞職する「外島事件」が起こった。

 1934年9月に京阪神地方を直撃した室戸台風後、生存者は全国6か所の療養所へ委託患者として送られ1938年に光明園へ帰園する。自治会の理念である「相愛互助」の精神は、委託先療養所に影響を及ぼした。

  第2部 国立療養所長島愛生園では、国立療養所の設置と地域社会との関連、創設期の入園者統制を『舎長会議事録』から分析、初の国立療養所では、光田健輔(みつだ・けんすけ)を頂点とする家族主義的運営がされていたが、委託患者78人を迎えて、間もなく入所者1000人を超え、光田健輔退陣、処遇改善の声があがり、激しい闘争の結果自治会が誕生した経緯について述べている。

 第3部戦争と自治では、総力戦下の長島愛生園、光明園が国立邑久光明園となった1941年にはやむなく自治を手放したが、戦後自治が復活する礎となった。

 補論1は、愛生園の女医で『小島の春」の著者小川正子が光田に宛てた書簡を分析し、補論2では長島事件後に入所した、田中文雄自治会幹部としての活動を検証した。

 ハンセン病療養所は、国の隔離政策で開設され、入所者は見えなくされてきた。

外島保養院で始まった自治を求める闘いは、他の療養所に波及し、戦後のらい予防法反対闘争、国賠訴訟、家族訴訟へと歴史的につながっていく。著者は一次史料を丁寧に分析しており、リアルに想像しながら読み進めることができる。取り上げた2つの療養所は、在日朝鮮人入所者が多かった。自治との関係で今後の研究を期待したい。

 大阪人権博物館(リバテイおおさか)では、「ハンセン病回復者」のタイトルで「隔離政策と偏見との闘い」として、外島保養院における自治、「日本プロレタリア癩者解放同盟」も展示されていた。それが2011年に橋下知事の介入で展示内容が変更された。大阪市長に転身した橋下氏により、2015年には市有地明け渡しと賃借料請求訴訟が提訴された。2016年秋には、らい予防法廃止20年、国賠訴訟勝訴15年記念企画展「人間回復への道―ハンセン病問題は問いかける」(ハンセン病市民学会、大阪人権博物館共催)を実施したが、この5月で閉館となった。3万点の資料を所蔵する館の移転先は決まっていない。

 こうした時期に本書が刊行された意義は大きい。

              (外島保養院の歴史をのこす会共同代表:三宅美千子)