エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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住友ゴム闘争 アスベスト被害者にあやまれ!命をかえせ! 

ひょうごユニオン 住友ゴム退職者分会(2019年10月/私家版/A4判132頁)

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 本書は、アスベスト被害訴訟を14年間闘い続けて、裁判闘争に勝利した記録である。

 住友ゴム闘争は、2005年7月、中皮腫で死亡した夫の死因について「45年間働いた職場でアスベストを吸った筈。中皮腫と仕事の因果関係を調べてほしい」という森田さんの相談から始まった。会社への追及の委任状とともに相談を受けた、元同僚の白野・正木の2人は、住友ゴム人事総務に詰問したが、回答は「建屋にも原材料にもアスベストは使用していない。住友ゴムの作業歴と悪性中皮腫との因果関係は不明」というものだった。

<団交権を認めさせるのに5年―退職後の団交権に初の司法判断>

 そこで、森田さんの遺族と2人の元従業員が、2016年10月に個人加盟の労働組合「ひょうごユニオン」に加入して、「住友ゴム分会」を結成し、以下の3点を要求して団体交渉を求めた。要求内容は―①アスベストの使用実態をあきらかにすること、②退職労働者の健康診断を実施すること、③企業補償制度を設けること―である。

 会社は「組合員が従業員ではない」として団体交渉を拒否したので、直ちに兵庫県労働委員会に提訴したが、2007年7月にユニオンの申し立ては却下された。ユニオンは団体交渉の範囲を極めて狭めたこの命令の取り消しを求めて、2007年12月、神戸地裁行政訴訟を提起した。神戸地裁アスベスト被害退職者の団体交渉応諾義務を認める初の司法判断を下した。県労委と会社は判決を不服として控訴したが、大阪高裁も一審判決を支持して団交応諾義務を認め、応諾義務の基準を示した。

 それでもなお、県労委と会社は最高裁に上告して争いを続けた。2011年11月、最高裁は上告を棄却して、大阪高裁判決が確定した。団体交渉を認めさせるのに、実に5年もかかったのである。やっと会社を席に着かせて団交を開始。その要求は、―①アスベスト被害者への謝罪、②団交拒否への謝罪、③アスベストの使用実態を明らかにすること、④全退職者への健康診断の実施、⑤これまでの健康診断内容の開示、⑥石綿災害特別補償制度の見直し、⑦胸膜プラークに対する補償―の7項目だった。

<損害賠償を認めさせるのに6年半―司法における初の損害賠償>

 しかし交渉は平行線のため、2012年12月に、神戸地裁アスベスト被害者5名(中皮腫2名、肺癌3名)の遺族が損害賠償を求めて提訴。続いて第2陣として2016年1月に2名(石綿肺がんと石綿肺)が提訴し、2つの訴訟が併合されて、被災者7名、原告23名の集団訴訟となった。神戸地裁判決を不服として原告・被告双方が控訴して、大阪高裁判決において、原告全員の勝訴を獲得するに至った。一審では、肺がんの2名については、労災認定において業務上認定がされているにも関わらず、「ばく露量が少ない」と請求を棄却したのに対して、高裁判決では、「肺がん発症が神戸工場での勤務に起因することが高度の蓋然性をもって証明された」として、救済された。さらに注目されたのは、死亡した2名の消滅時効について、「団交拒絶は不適切であり、そのことが被災者らの適切な救済を受けることを困難にした」として、債権の存在を認め、一審に続き、消滅時効について新たな司法判断が確定したのである。会社側は控訴を諦めざるを得なかった。

 

 以上、14年間に及ぶこの闘いは、アスベスト被災者とその家族に大きな自信と励ましを与えるものである。報告集にはそれを支えた大阪労働者弁護団7名、ひょうごユニオンとひょうご労働安全センターからのメッセージや、分会ニュース・迫力あるビラが収録されており、いくつもの教訓が読みととれる。

 退職して雇用関係が切れても、就労中のアスベスト被害への責任を企業に粘り強く追及する闘いは、座して司法判決を待つのではなく、個々の被災者の労災認定掘り起しや、会社を包囲する世論づくりのための数えきれないビラまきの蓄積、法廷での証言者獲得に示される、会社の組合つぶし・差別攻撃に節を曲げずに闘い続けたことへの仲間からの信頼など、「あらためて私たちに諦めないこと、闘い続けることの大切さ」(ひょうごユニオン委員長メッセージ)を伝えている。そして被災者全員の補償救済に向けた闘いは今も続いている。(伍賀 偕子<ごか・ともこ> 元「関西女の労働問題研究会」)