連載第7回『団結のために』[1956年]
辻氏は、らくがき運動推進のために「アッピール」の必要性を主張した。当時の近江絹糸紡績では、生産工程ごとに職場の要求や課題が多様なうえ、配置転換もなかった。このため、各職場の要求を支部や組合のものとして全体化するためには、職場新聞等により他職場に実情を訴えることは不可欠であった。
『団結のために』表紙
職場新聞以外の「アッピール」の方法として、コーラスと詩朗読によって構成される「シュプレヒコール」と呼ばれる発表形式が用いられた。『団結のために』は絹紡製綿職場が、1956年4月15日の支部サークル発表会で行った「シュプレヒコール」の8ページの上演台本である(注[i])。
写真は製綿の「シュプレヒコール」(入江スナヱ氏提供)
絹紡職場の内でも、晒練・製綿・ガス焼は臭いや暑さなど職場環境が劣悪で、「特殊職場」として「絹紡手当」の増額を要求していたが、支部要求事項とはなっていなかった。
『団結のために』p4,p5
台本中の「仲間たちよ」という詩には、製綿職場で働く労働者の本音が表されている。
今日もみた
鼻をつまんでとおる仲間を
さなぎ粉と
ほこりをかぶって働いている私のそばを
くさいと言うしぐさをしてゆく
仲間たち
それでいて
明細書の日がくれば
ぐちをこぼす仲間たち
私が十五円多いと…
私はいった
「じゃ私は手当分の十五円はいらないから職場を交替しよう」と
すると仲間は
「いやだ、あんなくさくてホコリのする所は死んでもいやだわ」と…
(後略)
さらに、5月には製綿職場が支部に働きかけ、下着の着用・交換状況など作業環境に関するアンケートを全職場に配布し、集約した。これらの「アッピール」の結果、6月の支部代議員会で手当増額が正式に支部要求事項となった。
(注1)この台本は、180名から27編の作品を集め、再構成したものであった。
(飯野大作『トランペット的な工場(紡績)詩論―湖東の繊維工場における詩運動の歴史と教訓』私家版、1961年15頁。なお、飯野大作は、辻保治氏の筆名である。)
(エル・ライブラリー特別研究員 下久保 恵子)
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