エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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所蔵資料紹介~辻󠄀保治資料(近江絹糸紡績労働組合関係資料)

連載第9回 職場新聞(2)『蛹(さなぎ)粉(こ)の中で』その1

『蛹粉の中で』創刊号1面 

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 『蛹粉の中で』は最も早い時期に創刊された製綿(せいめん)職場の職場新聞のひとつである。1956年2月に創刊され、その後、ほぼ1ヶ月に1号発行され、当資料中には15号まで存在する。

 絹糸紡績では、原料である製糸屑や養蚕屑をアルカリ溶液で煮沸、腐敗させて、絹の主成分であるフィブロインを取り出して絹を綿状にし(晒練(せいれん)工程)、紡績し、絹糸を製造する。製綿は、晒練工程を経た綿(わた)を拡げてピン付ドラムで梳(くしけず)り、混入物を除き、繊維を一定の方向に揃え、揚綿(あげわた)と呼ばれる綿(わた)のシートを作る工程である。工程はさらに幾つかの担当に細分化されていた(以下、本稿では「綿(わた)」の材料は絹成分である)。

 まず、「綿掛(わたかけ)」担当が切綿機に綿を掛け、ドラムで伸ばされた綿を反対側に立つ「切綿(せつめん)」担当が鋏で一定の長さに切り、棒状のスティックに巻き付ける。

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(写真)切綿機。手前がスティックに綿を巻く「切綿」担当者。

(入江スナヱ氏提供、近江絹糸紡績彦根工場1955-1958年頃)

 「円型(えんけい)」担当がスティックを機械の羽目板に挟み、綿の部分をピン付ドラムで梳(くしけず)ることにより、不純物や短繊維を取り除いて、綿のシート(揚綿(あげわた))を完成させた。一方、ドラムについたゴミや短繊維を取り除くのが「粕取(かすとり)」担当で、取り除いた短繊維は、後部に設置された別の切綿機に再度綿掛けし、円型梳綿機を経て揚綿となった[i]。(最初にできた綿が一等綿、短繊維を再利用した綿は、二等綿以下四等綿まで取ったが、質は落ちるものとされた。 

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 (写真)円型梳綿機。「円型」担当が上部の棚のスティックに巻かれた綿を羽目板の間に挟む。写っていないが手前には「粕(かす)取(とり)」担当がいる。

(朝倉克己氏提供、近江絹糸紡績彦根工場1955-1958年頃)

 

『蛹粉の中で』には、会社への要求以外にそれぞれの担当同士の意見や不満の記事が多く見られる[ii]。 

切綿の方々へ

切綿を余り高くつまないで下さい。綿取りに行くのがいやになります。又つむ時も あわてずにおちついてきれいにつみ重ねて下さい。円型から切綿が落ちても知りませんよ。低気圧にならないでね。」 

 筆者は「円型」担当だと思われる。「切綿」担当は指定場所に綿を巻いたスティックを置き、円型担当はこれを取って、円型梳綿機の上棚に置いてから作業をする。大量のスティックがあるとバランスを崩して棚から落とすという具体的な苦情、要望である。

 「「何」でもできる様になったらなあー

 このことをみんなで話し合いましょう。

製綿の仕事は、開蚕が出来ないだけ、マア何でも出来る方ですが、やはり自分の本職、円型が一番良いです。

体の具合が悪く歩きたくない時なんか今日は円型だったら良いがなあと思って、急いで職場に行ってみる、ああやっぱり粕取りだわ、誰か粕取りのできる人はいないかなあと思ってベルが鳴るまで首を長くして段取りを見ている。

やっぱりいない、そんな時、やっぱり私がつかねばならん。

製綿で働く人達がみんなどの仕事もできる様になってくれたら私だけでなく、みんなが楽しく働けるのではないでしょうか。」 

 この記事から、担当業務がある程度固定化されていたことがうかがわれる。一方で、担当の流動化は生産性を落とすという意見も見られ、職場新聞が、仕事の方法についての議論の場ともなっていたことがわかる。 

[i] その他に機械の保全を行う男子労働者がいた。また、これら担当は午前5時~午後10時30分の間で二交替勤務であったが、他に部品の保全や原料綿の準備をする日勤者がいた。

[ii] 以下の二つの記事は、『蛹粉の中で』の2号(1956.3.20発行)1面に掲載されていたものである。

(下久保 恵子 エル・ライブラリー特別研究員) 

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