連載第11回 職場新聞(4)『晒練(せいれん)職場新聞』その1
『晒練職場新聞』創刊号1面
『晒練職場新聞』は、1956年8月に創刊された晒練職場の職場新聞で、その後、ほぼ1カ月に1号発行され、当資料中には、14号まで存在する(10号は欠号)。
晒練は、絹糸紡績の最初の行程であり、原料である整糸屑や養蚕屑をアルカリ溶液で煮沸、腐敗させて、絹の主成分であるフィブロインを取りだし、絹を綿(わた)状にする。
工程は「原料ほぐし」「新練(しんねり)」「腐化練(ふかねり)」「仕上(しあげ)練(ねり)」「洗い」「乾燥」の各工程に細分化される。「新練」において、材料を練桶に入れ、ソーダ液で煮沸・攪拌し、柔らかくする。この際、長さ約2メートル50センチもの練棒を桶に固定し、梃子の原理で材料を回転させる。これを「練る」と言った。
左が練桶で「練作業」を行う男性労働者、右に二つ並んでいるのが洗濯機(朝倉克己氏提供、近江絹糸彦根工場、1955~1957年頃)
「新練」後、原料を練場(ねりば)の床下に100個以上設置された深さ約1メートルの腐化槽(ふかそう)に移し、温度管理しながら3日ほど置く。その後、再び練桶に移し、今度は、腐化中についた汚れを石鹸とソーダを入れた湯で洗い落とす仕上(しあげ)練(ねり)を行った。
仕上練終了後、洗い場の水槽で汚れを落としてから運べる大きさにちぎり、水洗機、脱水機、乾燥機を経て、次工程の製(せい)綿(めん)へ送った。
原料を乾燥機にかけているところ(朝倉克己氏提供、近江絹糸彦根工場、1955~1957年頃)
晒練概略平面図(小林忠男氏作成・提供)
男性が練場担当を行い、他の工程は女性が担当した。最低の作業グループとしては、原料ほぐし3人、練場5人、洗い場5人、乾燥3人の16人であるが、通常は、この人数より若干名多く、さらに日勤者も存在していた*1。
以下の替え歌は職場の様子をよく表している。
「替え歌
(一)オーイオーイ練棒練ってる野郎ども
もっとしっかり 仕事しな
やぼな説教するんじゃないが
会社は近頃 不景気で
ボーサボサしてたら 首がないぞ
そろそろ課長の来る頃だ
(二)オーイオーイ仕事がつらいかタンカ引き*2
君の気持ちも分るけど
俺達練ボーもつらいんだよ
飯を食うのだ 仕方がねー
昼のおかずは何だろうか
そろそろ時間だ 帰るのだ
(三)オーイオーイ 洗濯している娘さん
明日は楽しい 日曜日だ
職の訊問 洗濯忘れ
楽しく 一日遊びなよ
あさってからは長靴はいて
また又 つらい洗濯だ
(四)オーイオーイ原料手入れの娘さん
器生*3をたんまりやっとくれ
朝も早よからサナギコだらけで
君のつらいの 分るけど
くよくよせずに へばらずやんな
間もなく彼氏も出来るだろう
(『晒練職場新聞』3号(1956.10.10発行)3面より)」
(下久保 恵子 エル・ライブラリー特別研究員)
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