エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

休館日カレンダーや利用案内、地図は公式サイトをご覧ください。

所蔵資料紹介~辻󠄀保治資料(近江絹糸紡績労働組合関係資料)

連載第11回 職場新聞(4)『晒練(せいれん)職場新聞』その1

『晒練職場新聞』創刊号1面 

f:id:l-library:20210518113118p:plain

 『晒練職場新聞』は、1956年8月に創刊された晒練職場の職場新聞で、その後、ほぼ1カ月に1号発行され、当資料中には、14号まで存在する(10号は欠号)。

 晒練は、絹糸紡績の最初の行程であり、原料である整糸屑や養蚕屑をアルカリ溶液で煮沸、腐敗させて、絹の主成分であるフィブロインを取りだし、絹を綿(わた)状にする。

 工程は「原料ほぐし」「新練(しんねり)」「腐化練(ふかねり)」「仕上(しあげ)練(ねり)」「洗い」「乾燥」の各工程に細分化される。「新練」において、材料を練桶に入れ、ソーダ液で煮沸・攪拌し、柔らかくする。この際、長さ約2メートル50センチもの練棒を桶に固定し、梃子の原理で材料を回転させる。これを「練る」と言った。 

f:id:l-library:20210518113329p:plain

左が練桶で「練作業」を行う男性労働者、右に二つ並んでいるのが洗濯機(朝倉克己氏提供、近江絹糸彦根工場、1955~1957年頃)

 

 「新練」後、原料を練場(ねりば)の床下に100個以上設置された深さ約1メートルの腐化槽(ふかそう)に移し、温度管理しながら3日ほど置く。その後、再び練桶に移し、今度は、腐化中についた汚れを石鹸とソーダを入れた湯で洗い落とす仕上(しあげ)練(ねり)を行った。

 仕上練終了後、洗い場の水槽で汚れを落としてから運べる大きさにちぎり、水洗機、脱水機、乾燥機を経て、次工程の製(せい)綿(めん)へ送った。 

f:id:l-library:20210518113357p:plain

原料を乾燥機にかけているところ(朝倉克己氏提供、近江絹糸彦根工場、1955~1957年頃)

f:id:l-library:20210518113438p:plain

晒練概略平面図(小林忠男氏作成・提供)

  男性が練場担当を行い、他の工程は女性が担当した。最低の作業グループとしては、原料ほぐし3人、練場5人、洗い場5人、乾燥3人の16人であるが、通常は、この人数より若干名多く、さらに日勤者も存在していた*1

 以下の替え歌は職場の様子をよく表している。

「替え歌

(一)オーイオーイ練棒練ってる野郎ども

   もっとしっかり 仕事しな

   やぼな説教するんじゃないが

   会社は近頃 不景気で

   ボーサボサしてたら 首がないぞ

   そろそろ課長の来る頃だ

(二)オーイオーイ仕事がつらいかタンカ引き*2

   君の気持ちも分るけど

   俺達練ボーもつらいんだよ

   飯を食うのだ 仕方がねー

   昼のおかずは何だろうか

   そろそろ時間だ 帰るのだ

(三)オーイオーイ 洗濯している娘さん

   明日は楽しい 日曜日だ

   職の訊問 洗濯忘れ

   楽しく 一日遊びなよ

   あさってからは長靴はいて

   また又 つらい洗濯だ

(四)オーイオーイ原料手入れの娘さん

   器生*3をたんまりやっとくれ

   朝も早よからサナギコだらけで

   君のつらいの 分るけど

   くよくよせずに へばらずやんな

   間もなく彼氏も出来るだろう

(『晒練職場新聞』3号(1956.10.10発行)3面より)」

 

(下久保 恵子 エル・ライブラリー特別研究員)

 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。

*1:晒練の行程や職場の様子については、当時、晒練職場で働いていた小林忠男氏にご教示を得た。感謝いたします。なお当資料中の『職場新聞代表者会議のまとめ』(1957.2.18開催)、『合同編集委員会議録』によれば、晒練職場の職場員数は60人となっている。この人数は二交代制の早番遅番と日勤者全ての合計であると思われる。

*2: 新練後の原料はタンカに移し、練場の板床の上を滑らせながら、空いている腐化槽まで運んだ。

*3:キキ。整糸工場で繭から糸をとる際、糸口とした糸以外の諸糸で、原料の一種。