エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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所蔵資料紹介~辻󠄀保治資料(近江絹糸紡績労働組合関係資料)

連載第17回 職場新聞(10)『じんし』その1

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『じんし』創刊号1面

 『じんし』は、綿・スフ紡績仕上職場の職場新聞で、1956年12月に創刊され、辻資料には、創刊号から7号までが収められている。

 仕上は綿・スフ紡績の最終工程で、彦根工場の各職場の内、最も広く、人数の多い職場であった。前工程の精紡から送られてきた管糸を製品の最終形態である「チーズ」(円筒形)、「コーン」(円錐型)、「綛」に巻き上げる。 

 単糸のまま巻き取る場合は捲糸機にかけ、チーズに巻き上げた。合糸仕上の場合は、2本の糸を合糸機であわせた後、撚糸機で撚りをかけ、最後は綛場で綛に巻き取った。いずれの場合もコーンに仕上げることがあった。これらは「台持」「台付」と呼ばれる機械担当の女子労働者中心の職場で、「捲糸・合糸」「撚糸」「綛場・コーン捲き」の三つの組で構成されていた。他に、各製品を集散場所へ運び、検品や数量確認、梱包指示をする「丸場」、製品を梱包する「荷造」を加え、全部で5つの組が置かれていた。

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捲糸機(朝倉克己氏提供、近江絹糸彦根工場、1955-1957年頃)

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荷造(朝倉克己氏提供、近江絹糸彦根工場、1955―1957年頃)

 『じんし』の創刊当時、会社側から班単位で割り当てられていた捲糸機の持ドラム数の引き上げと荷造担当の減員が申し入れられており、特に3号(1957年2月発行)までは、このことに関する記事が多い。

みんなで討議しよう 会社の人へらし政策を打ち破るために!!

 最近会社は私達一人一人の作業量に余裕を生じていると云う事を理由に「人へらし」の政策を私達の職場に持ちよつて来ています。この「人へらし」をタテにした生産性向上がどのような形で表れて来ているのでしょうか。

これは先づ捲糸のドラム持台数の増加なのです。現在の百十ドラムから二百二十ドラム(注1)にすると云うのです。もちろん多少回転数は下げると云っているが問題にならない。もう一ツは男子の荷造りの人へらし、現在十六名でやっているのを十二名にへらすと云うのである(後略)」

『じんし』創刊号1面(1956.12.10)より

この内、持ドラム数変更については、『第三回支部大会報告書及議案書』(1957年6月)に、1956年11月15日、会社より現行の持ドラム200、回転数470を持ドラム220回転数390に変更申し入れがあり、職場討議により反対を決定、会社との話合いは、現在もまとまっていない旨の記事がある。荷造の減員についても、同書の別冊であると思われる「支部報告」の彦根支部の箇所に「深夜廃止に関連し、本部よりの指令もあり現状の 人員で作業するよう会社に回答するとの記事がある。

 なお、4号(1957.7.8)以降、これらの問題に関する記事は見られない。銀行資本と夏川社長の対立による金融の行き詰まりにより、1957年9月には綿紡部門は操業停止に追い込まれており、生産関係の問題は一時棚上げになったと推測される。

  • (註1)後述のとおり、組合支部資料によれば、持ドラム200を220に変更となっている。なお、『じんし』2号には持ドラム210本を220本に変更という記事が見られ、統一されていない。
  • 仕上げの工程や仕事の内容については、仕上職場で働いておられた朝倉克己氏にご教示を得た。感謝いたします。(下久保恵子 エル・ライブラリー特別研究員)

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