エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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『大阪のモップル』『時代に抗して光を求めた人びと』

(A)治安維持法犠牲者名簿・大阪 : 時代に抗して光を求めた人びと / 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟大阪府本部編.  治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟大阪府本部, 2021.   21cm ; 472p  (表紙と背のタイトルは「時代に抗して光を求めた人々」)

(B)大阪のモップル : 戦前大阪の弾圧犠牲者救援運動 / 柏木功著. 柏木功, 2021.  21cm ; 176p

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 戦前の治安維持法が如何に民衆の生活と権利を抑圧し、戦争国家へ総動員していったかは、多くの書籍で語られているが、今回は、大阪における「治安維持法犠牲者名簿」が克明に編纂された書と大阪における「弾圧犠牲者救援運動」について、掘り起こされた書を紹介する。

(A)

 本書は、「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟大阪府本部」の組織的取り組みによって、弾圧の犠牲となった大阪にゆかりのある人々の名簿が、一人ひとりの生い立ちや検挙にいたる経過まで丹念に刻まれた、歴史的に貴重な記録である。

 当同盟は1968年3月に結成され、その大阪府本部は82年3月に発足している。治安維持法の20年間に全国で、逮捕者数十万人、検挙された人68274人、うち起訴された人6550人(司法省調べ)、警察署で虐殺された人93人、獄死者は400人にのぼっている。

 本書では、大阪で活動した人、他県で活動した大阪出身者、検挙時大阪に住んでいた人を含めて、1597名もの人々の名簿が刻まれている(うち女性88名以上=名前からわかる分のみ)。もちろん在日朝鮮人・中国人も含まれている。

 掲載基準は、弾圧による犠牲者という一点のみで、思想や属性に関わらず、戦争と圧制に抗した人、その後運動から離れた人、沈黙を余儀なくされた人、運動を批判する言動に走った人なども含めて、評価はせず、事実のみを記載しただけである― と明記されている。

 出典は、主として官憲資料~『特高月報』『思想月報』『社会運動の状況』など~によるが、巻末の「参考文献」に掲載されている、数多くの事典・辞典類や、社会運動史、自伝・遺稿集・追悼集などを綿密に調査して集約されている。もちろん、わが『大阪社会労働運動史』(大阪社会運動協会)も含まれている。これだけの集約には、膨大な労力と時間を要したであろうことは推察できるが、それは「国が治安維持法犠牲者の実態調査をし、謝罪と賠償せよ」の国会請願要求(当同盟)を政府が無視したままだからで、改めて、怒りを共有したい。

五十音順に追っていくと、重大な事実、知らなかったことばかりで、自分の無知を知らされるが、わずかながら私の交流のあった人、私自身が聞き書きを出版した人も記録されている。当同盟大阪府本部調査顕彰委員会の膨大な尽力に心から謝意を表したい。

 そして、1597名の犠牲者名簿(400頁)以外に、資料編として、主に次の節も組まれている。

― ★治安維持法の略史と用語/★戦前の労働組合、農民組合、無産政党の運動史/★戦前大阪の社会運動史略年表 ― いずれもコンパクトに、的確に纏められていて、歴史の流れを把握するのに、貴重なテキストであると思う。

(B)

 本書は、治安維持法が猛威をふるった戦前、その犠牲者と家族の救援のために、自らの危険を顧みず、献身的に活動した人々の弾圧犠牲者救援運動を掘り起こした記録である。

 著者の柏木功は、(A)の「調査顕彰委員会」(14名)の一員でもある。

 犠牲者救援運動を担ったのは、「解放運動犠牲者救援会」であり、1928年3月15日日本共産党関係者への一斉検挙があった3・15事件のあった年に発足しているが、その準備の呼びかけは1月からなされていて、3月 6日には、第1回発起人会が開催されている。これは、『救援新聞』創刊号(1929.12.21「解放運動犠牲者救援会」発行)によっているが、著者は、~歴史の記述は官憲文書に頼っている。官憲文書は当局に都合よいように書かれた作文であり、真実でないことも多い~と、巻頭文で述べ、~自らも弾圧されながら、弾圧犠牲者と家族の救援に取組んだ人々が大阪にもいたことを知ってもらいたい~と、刊行の企図を記している。~ ほとんど資料の紹介で、それについての論考はしていない~と。史実の発掘のための尽力がどれほどのものであったか、推察の域を出ないが、弾圧の嵐に抗した人々の命をかけた軌跡は、今を生きる者たちにとっての生き方が迫られる重い共有財産である。

 表題の「モップル」は、救援会第2回大会(非合法で開催)で、加盟が承認された「国際赤色救援会」の通称(ロシア名の「国際革命戦士救援会」頭文字をとったもの)であり、この時点で「国際赤色救援会日本支部」=日本赤色救援会と改称し、大阪も「日本赤色救援会大阪地方委員会」(赤救)と名乗った。

 本書の主題は、書名の通り、大阪での救援運動である。大阪での3・15事件で検挙された人は160人で、6月中旬までに約320人検挙され、起訴されたものが99名とされている。「解放運動犠牲者家族救援会大阪支部」結成(4/27夜、小岩井浄方にて)の提唱文が、「大阪俸給生活者組合」と「大阪一般労働者組合」の両団体名で、4/24付で郵送されている。しかし、27日当日は、中心人物が検挙され、会議は流会になったという(内務省警保局『特別高等警察資料』第2号)。会議は流会させられたが、実際の運動は進められている。ガリ版刷りのミニパンフ『労働者農民と救援会』がそのまま掲載されているが、~おい!! おっさん! 俺たちの工場にも心がけのいー者を集めて班という奴を早速つくろうぜ!! ~と、大阪らしいアジリで、興味深い。会費は月十銭とのこと。

 この救援会は、検挙・再建・また検挙を重ね、1934年以降の活動は不明で、そして消滅と記述されている。このような過程でも、代表の小岩井浄は1932年の府議選に獄中から当選している。

 戦前、二つの「救援会」が並立して活動していて、当時からよく混同されていたし、戦後の記録にもその混同があって、本書で指摘されている。もう一つとは、1932年結成の「日本労農救援会大阪支部」(労救)である。こちらの国際組織は「国際労働者救援会」である。役割も、「労救」が、「労働者農民勤労大衆の自然的経済的災害貧困及び経済的政治闘争そのもの救援会である」に対して、「赤救」は、「白色テロル反対、白色テロルの犠牲者とその家族救援を本来の目的とする」と、記述されている。「労救」は「無産者医療同盟」との関係が深かったようである。このことは、同著者による『三島無産者診療所物語』(2020年)に詳述されている。(伍賀 偕子<ごか・ともこ>)