エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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『津村明子さんとのお別れ会』

『津村明子さんとのお別れ会』~ 女性の力を示す先駆的役割

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 津村明子さんが、コロナ危機のために、2021年4月17日に逝去された。享年86歳。敬愛する先輩をコロナによる大阪の医療崩壊のなかで失ったことは痛苦の念に堪えない。

やっと入院出来て5日後の逝去。ご家族もお骨になってからの対面だった。

 ようやく2021年12月19日に、ご縁を結んだ人たち50余名による「お別れ会」が催されて、ご行跡をたたえる栞が発行された。

 また、その2カ月ほど前の「第52回大阪社会運動物故者顕彰・追悼式」において、9名の方々とともに、津村明子さんが顕彰された。(第1回~第52回顕彰者1800名)

 以下、「お別れ会」の栞と顕彰追悼式の冊子をもとに、その先駆的なご行跡をたどる。

☆1935(S10)年1月1日に大阪市で誕生。1959(S34)年京都大学文学部卒業後、大阪放送局NHKに入局。

NHKで、ディレクターとして教育番組を制作しつつ、日放労関西支部婦人部長を経て、大阪総評婦人協議長を1977年より11年間務めた。「国連婦人の十年」の大阪における幅広い女性運動の共同行動の場で中心的な役割を果たした。とりわけ、1985年の均等法制定時までの、「労基法改悪阻止、男女雇用平等法制定」をめざす特色ある大阪総評女性運動において指導性を発揮した。

NHKを退職して、大阪府庁に入局し、婦人会館館長や生活文化部長、府立女性総合センター(ドーンセンター)初代館長を務めて、女性幹部の草分けとなった。

☆府庁定年退職後は、大阪府生活協同組合において、初の女性会長を13年務めて、生協活動の幅と影響力を大きく広げた。

☆1993年には、「高齢社会をよくする女性の会・大阪」を立ち上げ、初代代表に。

また2005年には、「おおさか女性9条の会」などの共同戦線でも、呼びかけ人としての存在感を示した。

☆「働く女性の人権センター いこ☆る」の2004年の発足時から、2015年まで12年間

代表を務め、既存の労働組合運動でフォロー出来ない未組織の女性たちの人権を守る運動を、物心両面から担った。

 その生涯は、広く社会労働運動において、女性の力を示す先駆的役割を果たした。そして、津村さんの情熱と行動力と独特の笑顔に魅かれて、多くの仲間が繋がった。12月19日の「お別れ会」は、その広く豊かなネットワークに包まれた集いだった。

 数々のご行跡は、枚挙しきれないが、私の記憶に残っている、津村語録を少しだけ。

「お酒は誰にも負けたことがない」/「しんどい」と聞いたことがなく、「どうしてそんなにお元気なの?」「生理休暇をきちんととったから」とさらりと答えられたこと。                         (伍賀 偕子 ごか ともこ)

<津村明子の主な著書・論文>   

 ☆大阪総評婦人協の各年議案書作成

 ☆1978年 女子保護廃止の「労基研報告」に対する反論 

朝日新聞」の「論壇」(78.12. 2)西日本版に続いて全国版に

⇒津村さん率いる大阪総評女性運動が注目されていたことを示す。

 ☆1985年 『女性ディレクターの現場』(講談社)共著

 ☆1991年 『ゼミナール女の労働』(竹中恵美子監修/ドメス出版)第4章

 ☆1994年 『労働力の女性化』(竹中恵美子・久場嬉子編/有斐閣)第6章

 ☆1999年 『大阪 おんなの酒場―女性に人気の酒処 100選』(津村明子編/風媒社)

 ☆『いこ☆る』誌 巻頭言10年間執筆