エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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『明治の新聞にみる北摂の歴史』  

小田康徳 著(神戸新聞総合出版センター/2021年9月/A5判310頁) 

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 著者は日本近代における公害問題史の研究、紀北及び大阪の地域史の研究者。また、エコミューズ(あおぞら財団付属西淀川・公害と環境資料館)館長、NPO法人「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」理事長としても知られている。 

 本書は明治10年~22年の新聞記事(日刊の商業新聞)から、北摂地域(池田・伊丹・箕面豊中・川西・宝塚・有馬・能勢など)の変容と新聞の対応を読み解いている。

 構成は以下の通りである。 

はじめに― 新聞と地域、変化の研究

  • 明治10年代前半、大都市から離れた地域と人間の描写
  • 明治10年代後半、社会の全般的委縮化と苦闘する人びと
  • 明治20年前後、国家の権威と新しい活動世界の広がり
  • 新聞広告が広げた北摂の世界
  • 地域に基盤を持つ公的職業政治家の出現

まとめにかえて― 草創期の新聞と都市および周辺地域の変容

◆ 「北摂」地域とは、どの地域のことなのか。

 本書の解説では、摂津国の北部地域を指しているが、摂津国大阪府兵庫県にまたがっていて、現在、大阪府だけの地域(三島町高槻市茨木市摂津市吹田市箕面市池田市豊中市豊能町能勢町)を「北摂」と呼ぶことが多いが、明治のこの時代では、兵庫県内の尼崎市、西宮市、芦屋市、猪名川町宝塚市川西市、伊丹なども「北摂」に含まれ、本書では「揺らぐ『北摂』概念」と記述されている。興味深いのは、「『北摂』概念の歴史的出現」の項で、明治22年暮れごろに、「池田町に自由主義の団体を組織する」の記事(東雲新聞)に、「北摂同志倶楽部」、明治23年1/18付(大阪朝日)で「北摂大懇親会」が記載されていて、国政選挙の関係で登場してはいるが、明治20年過ぎに、共通の地域認識が成立しつつあり、近代の前半期を通して力を回復しつつあった大阪との関係が強まるなかで、歴史的に形成された概念ではないかと推論されている。 

◆ この時期、北摂地域においては、「明治国家と対決した自由民権運動的な政治活動の低調さは否定できないが」、地域の産業構造には、顕著な変化が生まれ、「別格的な大都市」である大阪と神戸との相互交流も含めて、人びとの行動様式の変貌も、当時の新聞記事そのものの翻刻作業を通して分析されていて、興味をそそられる。 

 例えば、伝統的な酒造地である伊丹の小西酒造では、北摂企業最初の商品の新聞広告を明治14年6月に掲載し、日本酒を「酒」とせず「皇国酒」と表現しており、樽ではなく欧米の技術である「瓶詰め」を採用したことが読み取れる。経営者の小西新右衛門は2代続けて自費をもって小学校を創立し、教育に尽力した「公共的人物」であったことなども大阪日報(明治14/9/14)に記述されている。また、池田村が酒の醸造と市場で繁栄してきたが、近代以降は郡役所も置かれて、「池田村は府下第一の大邑」(大阪日報, 明治13/9/8)という記載もあり、幼児教育でも先駆けであったと。

 「新聞広告が広げた北摂の世界」では、 摂州灘地域の酒造や平野鉱泉と炭酸水、川辺郡の植木業、豊島群の産牛業などが登場し、保養地・景勝地では宝塚温泉の成り立ちや、箕面の紅葉、有馬温泉妙見山など、興味深い歴史を知ることができる。

 さらに、この地域の政治家や政治グループの登場も第5章で詳しく紹介されていて、浅学な筆者には理解しきれない情報量だが、どのような背景と葛藤があったのかを学ぶことが出来る。

◆ 当時の商業新聞を集め、保存されていたことにも驚くが、著者の「翻刻」作業の姿勢が新聞報道の変化や姿勢のあり方についても分析されていることに興味を抱くし、その時点での新聞取材が全体像や真実を報道しているとは限らないわけで、一定の歴史的検証を経た、自治体発行の地域史との照合もきちんとなされている。

 例えば、豊島軍新免村・麻田村の「水争い」について、浪花新聞と大阪日報の記事を分析して、その地域の被差別地域についての言及が表面的で、事件の構造に迫らないという本質的な問題点を指摘されていることに、著者の姿勢と方法論を感じることが出来る。(伍賀 偕子 ごか ともこ)