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『日本の賃金を歴史から考える』

<2013.12.26追記:下記紹介文に対して、著者の金子さんの応答がご自身のブログに掲載されています。 「社会政策・労働問題研究の歴史分析、メモ帳横断賃率論は熊沢先生の論稿で!」

 本書の企画は、連合総研の2氏から、労働組合の若手が賃金への知識をもてなくなり、さらに組合のブレーンになる労使関係の研究者、とりわけ賃金の研究者がいないことを憂いての提起から生まれたということである。なるほど、「春闘」が労働組合の最重点課題であり、財界と労働者側が大論陣を張って、マス・メディアでも大きく取り上げられ、労働講座でも、必ず「賃金論」が重要なテーマになっていた頃とは違う、労働運動の現状を再認識させられた。
 著者は、本書の目的を、「賃金の重要性を再認識するための答え」を「歴史のなかに求める一つの試み」と述べている。「実務的な知識」や「統計表が全くない」入門書であり、「発想を豊かにするために」賃金そのものの多様な考え方を、明治以来の歴史的背景にまでさかのぼる丁寧な説明を通して展開している。
 「賃金の重要な二つの軸」である、「企業にとっての生産と労働者にとっての生活に焦点を当て、生産管理の歴史や家計調査などの社会福祉の歴史にも踏み込んで」記述されている。
日本的賃金は、一般的には、「年功賃金」と流布されているが、企業内の複数の賃金支払い基準の総体を意味する「賃金体系」こそが、日本の賃金の特徴であり、賃金体系の歴史を以下のような時代区分で展開している。

  • 1910年代〜1945年       賃金体系の登場と複雑化(第1期)
  • 1940年代後半〜1960年代後半  戦後の賃金制度の定着期(第2期)
  • 1970年代〜1990年代      安定期(目だった変化はなし)ただし、石油危機の1975年に賃金改革が訴えられたことはあった。
  • 1990年代後半〜2000年代前半  成果主義の流行(第3期前半)
  • 2000年代前半以降        成果主義の変遷(第3期後半)


 時代区分を追って詳しくは紹介できないが、とりあげられているテーマをいくつかだけあげてみると、― 賃金体系の「コア」である基本給 第2改革期の変化(1)=出来高賃金から基本給+能率給へ 固定給における査定 職務給から職能資格給へ 階級(身分)制度から職能制度への転用 ― というような展開である。
さらに第7章「賃金政策と賃金決定機構」では、― 労働運動の興隆と戦後の賃金決定方式の誕生 公務員の賃金ベース−所得政策と参照水準 物価と賃金−消費者物価指数(CPI)の登場 生活給賃金から能率給賃金へという転換 個別賃金要求方式の登場 定期昇給とベース・アップ 春闘のはじまり 生産性と賃金 生産性基準原理と所得政策 1975年春闘の帰結−日本型所得政策の誕生と戦後賃金政策の終わり ― のポイントで簡明に記述されている。ただ、1960年代の「職務給」に対する労働界の対応の大きな違いについては述べられているが、職務給反対論の陣営において、“大幅賃上げ”か“横断賃率”(=職種別・熟練度別賃率の確立)かの論争について言及されていない点についてだけは、日本の賃金構造を論じる上で重要な論争であったし、引き出すべき教訓があるのではないかと思う。
 全体に、賃金だけに狭く限定せず、グローバルな世界的背景、労使関係分析をはじめ、「日本の雇用の全体像が」描かれている。
 第8章「社会生活のなかの賃金」で、3つの賃金格差について、(1)農工間格差 (2)企業規模間格差 (3)本工と臨時工の格差 についての考察を踏まえて、「社会問題にされなかったもう一つの賃金格差−男女別賃金格差」のテーマでは、「工場法から男女雇用均等法まで」の歴史的展開の上で、「標準世帯を前提とした社会保障−103万円の壁と130万円の壁」「平等への道−ペイ・エクイティと職務分析」「女性の非正規化と男性への波及」について述べ、「ワーク・ライフ・バランス」に導いているが、結びは ― 生活賃金を要求するには、その前提となる「生活」を把握しなければならないが、その把握が困難になっているところに現代の賃金問題のむずかしさがある。それを解決するために、一人ひとりが考えなくてはならない。― とされている。
 各時代における政策や論争に対する著者自身の主張や批判は控えられているが、各章の最後に配置されている8つの「コラム」は、著者の考え方が推考できる興味深い論述である。本書のポリシーにも関る言葉を「コラム8」から引用して、紹介に代えたい。
― 賃金はしばしば思想を伴う。その思想は生産効率の追求かもしれないし、仕事のやり方を変革させる経営改革かもしれない。あるいは同一労働同一賃金かもしれない。これらの思想はそれ自体無謬であったとしても、現実に実現しようとするとき、しばしばあちらを立てればこちらが立たぬという不均衡な正義しか実現できない。しかし、その不完全さこそがチャンスである。私は自分の正しさのみを追及するよりも、完全な正義は実現できないという前提に立って多様な考え方を数多く認識することが重要だと考える。―
                                  (伍賀偕子)

 金子良事著(旬報社/2013年11月)

著者プロフィール
 1978年生まれ、経済学博士。現在は法政大学大原社会問題研究所兼任研究員。東日本大震災以降、大槌町釜石市を中心に復興活動を続けている。主な著作『戦時賃金統制における賃金制度』((経済志林』80巻4号)