エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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凛として 亡命したILO労働代表 松本圭一の生涯

飯塚恭子著(私家版/2018年11月/B5判170頁)

f:id:l-library:20191220152023j:plain  著者は、ノンフィクション作家。著者の遠縁(曾祖母の弟)にあたる、ILO労働代表松本圭一の、波乱万丈の人生とその生きざまを丹念に掘り起こしたドキュメントである。『深き淵より汝を呼べり』で第4回朝日ノンフィクション賞に入選し、それを全面的に改編して1989年には『祖国を追われて ILO労働代表松本圭一の生涯』(キリスト新聞社)を刊行し、ILO創立100年にあたる2019年を前にして、再度松本圭一を本書によって送り出したのである。

 松本圭一は、1886(明治19)年静岡県生まれで、1913(大正2)年東京帝国大学農学科を卒業後(当時大学進学率は1%にも満たない)、岡山孤児院分院の宮崎県茶臼原孤児院で働いていた。その彼にいきなりILO第3回総会(1921年)の労働者代表という任命が下った。この総会は農業労働者の問題を主議題としているので、日本には農業労働者の団体はないとして、「相当の学識ある者にして農業労働の経験を有し精通している者」として彼を選定したと政府は推薦の趣旨を述べている。第1回以来、労働者代表の選定について、官選代表という抗議が激しく、労働団体である「友愛会」には何の折衝もなかったので、選出方法について友愛会からは抗議が表明されていた。一旦は辞退したが、結局総会に臨んだ松本は、労働者代表の選出について、「農業労働者も一般労働者も同じ労働者であり、農業問題だから友愛会という労働団体と協議しなかったのは理由にならない。この労働団体の規模が小さいのは、治安警察法で弾圧されているからだ」と明言し、自分の代表資格が否認されても仕方がないとさえ訴えた。

 そして、第11号(農業労働者結社権)条約の採択において、日本政府代表は、「農場に従事するすべての者」という言葉を「農業において雇用される者」という修正案を提出し、それが受け入れられないなら棄権すると表明し、実際に棄権した。対する松本は、「日本では小作人の大多数が55%もの小作料を払って働いている。その年収は50ポンドに達しない。これが企業家であって労働者でないとはどこを押したらそんなことが言えるのか」と激しく反論し、さらに、第1回総会以来の日本政府の「特殊事情」を挙げて条約の適用外と主張する態度を批判した。結果、第11号条約について、政府代表は棄権、使用者代表は反対、労働者代表のみ賛成という表明となった。松本は、世界の場で日本の労働者代表としての任務を臆することなく、堂々と果したのである。

 この総会後欧州視察を経て1年後に、農商務省に報告に行ったが、自分の発言が地主階級の怒りに触れ、政府役人からは同一歩調をとらなかったことに反感をかい、「非国民」「国賊」となっていた。「しばらく表に出ないで静かにしておいてほしい」とされた。

 松本は大原孫三郎の旅費支援で1年間、「南米視察」に出かけ、その成果の上に、日本を離れることを政府サイドから提案されて、ブラジルへ移住(=「亡命」)することになった。

 ブラジルで松本の死後発見された「覚書」では、松本がILO労働代表になったことで、いくつもの小作争議に関する政府の重要な極秘文書を見聞することができ、―― 地主制度は間違った土地分配によるもので、農村社会に地主階級と小作人という階級社会が生じたことが、小作争議の原因である。農地制度の根本的見直し改革が必要である―― と説いている。

 30年間のブラジルでの松本の行跡は、青年教育、農事研究、養鶏普及、種苗交換を通しての日本との架け橋などが認められ、藤山愛一郎外相から表彰状と木杯が送られ、1965年には、ブラジル農業技術研究会(ABETA)から第1回山本喜誉司賞が贈られた。1966年にはブラジル移住先駆者としての功績に勲五等瑞宝章が送られた。

 1976年3月、ブラジルの自分の書斎で、静かに波乱に満ちた90年の幕を閉じた。それから2年後、日系移民70年記念事業で、一つの道路が「エストラーダ・ケイイチ・マツモト(松本圭一街道)」と名付けられた。

 著者は、松本圭一の生涯を「信仰が支えた情熱の人生」と規定している。孤児の育成と自立への粘り強い情熱も、ILO労働代表と任命されても、権力におもねることなく、農業労働者の権利を主張した勇気、それにより日本から「追放」されてのブラジル移住でも農業技術で日系社会を切り拓いていく情熱も、思わず曳きこまれる貴重なドキュメントである。

 筆者としては、松本の勇気あるILO総会での行動が以降のILOと日本政府との関わり、労働者側からのILOへの積極的な働きかけにどのような道筋を拓いたかの分析と検証に関心を抱き、著者も参考文献に挙げている、『ILO条約と日本』(中山和久著/岩波新書/1983)の併読も薦めたい。(伍賀 偕子 <ごか・ともこ> 元「関西女の労働問題研究会」代表)