エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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『遊廓のストライキ 女性たちの二十世紀・序説』

  山家悠平(株式会社 共和国/2015年3月/273頁)

 本書は、著者の京大大学院博士学位論文に加筆修正を加えて出版されたものである。
 千代駒という娼妓が森光子にあてた手紙から本文に入る。手紙には、1926(大正15)年大正天皇の御大喪にも休ませず見世に出させようとした楼主に対して、抗議の5日間の「同盟罷業」したことが書かれている。そして「光子さん随分変わったでしょう。それもこれも、花魁達が少し目覚めて来たからでしょう」と書かれ、自由廃業した森光子の行動が娼妓たちの意識に与えた影響を記している。
 
 書名が示しているように、「遊廓のなかの女性たち」の待遇改善のためのストライキや集団逃走に光をあてることが目的とされている。遊廓のなかの女性たちとは、公娼制度下で管理対象とされた娼妓と、地方行政の定める監察制度のもとで権利を制限されてきた芸妓のことである。

 第1のテーマは、絶望的とも言える過酷な状況下であっても、ストライキや集団逃走という手段で生き抜こうとした女性たちの歴史に光をあてることにある。

 第2のテーマは、遊廓の女性たちの行動を中心にして、公娼制度の問題をとらえかえすことにある。歴史研究においては、公娼制度が廃止されたあと、1970年代の「女性史論争」がきっかけであった。きっかけをつくった村上信彦著『明治女性史』では、救済者としての廃娼運動を評価している。80年代の地域女性史の発展の中で、廃娼運動家の皇室崇拝や下層階級への蔑視が問題化された。90年代第2次フェミニズムを背景に、売買春や欧米の廃娼運動に関する女性史研究の蓄積や方法論を手掛かりにして、藤目ゆき著『性の歴史学』(1998年)が、芸妓や娼妓のストライキに迫った、ほぼ唯一のまとまった研究と、著者は評している。本書の研究の視座もこの到達点を踏まえつつ、「遊廓のなかの女性たちの生の痕跡を女性史研究のなかにひとまず存在させることに」意義を位置付けている。

 したがって、「遊廓の日常を描く」といっても、<男性>文学者が遊廓通いをする中で描き出した、哀愁が漂う遊廓のイメージではなく、数少ない史料を丹念に追いながら、「底辺女性労働者」としての生の痕跡を描き出している。研究書が少ないなかで、全国各地の新聞記事に表出された彼女たちの環境や、そこからの解放を求める言葉や出来事にエネルギーを見出している。

 「遊廓の改善という世論の高揚」を受けて、日本政府は1925(大正14年)年、いくつかの留保条件をつけて「婦人及児童の売買禁止にかんする国際条約」(1921年)に調印・批准した。これを受けて全国の警察の対策も「娼妓の待遇改善」という方針転換をもたらし、自由廃業の簡易化もなされ、「社会のまなざし」も変化した。

 そしてこの時期は、「戦前の労働運動の最高揚期」でもあり、労働争議が続出しているが、1932(昭和7)年 女性のみで行われた争議は42件であり、そのうち、遊廓の争議は4件で、染織工業の25件についで2位である。労働運動家による廃娼運動は、賀川豊彦の著述や行動が有名であるが、興味深いのは、冒頭にあげられた手紙の千代駒が遊廓脱出時に逃げ込んだのは、友愛会日暮里支部を結成した岩内善作のもとであった。岩内は白蓮女史(柳原白蓮)とも打ち合わせて自由廃業の手続きをとった。従来、遊廓の外部者からしか語られなかった彼女たちの痕跡を本書は、一つ一つの出来事や証言を丹念に追っている。

 もう一つ興味深いのは、弁護士田万清臣と無産婦人同盟関西支部長の田万明子夫妻が廃娼運動に身を乗り出し、松島遊廓のど真ん中に法律事務所を開いているが、遊廓側は、その3軒目に暴力団を住まわせたというくだりである。二人が「相当な緊張状態のなかでの活動を強いられたことは想像に難くない」と著者は語っている。筆者は田万ご夫妻に何度かお会いしているので、本書の記述はよけいに興味深い。松島遊廓の廃止については、わが社会運動協会編纂の『大阪社会労働運動史2巻』に記述されているので、ぜひ参照されたい。

 最後に本書の膨大な労作に共感を抱くのは、「人間性への搾取と圧倒的な不自由さのなかにあっても、言葉を紡ぎあい、状況を切り開くためにストライキや不正の告発を行った芸妓や娼婦たちの生の痕跡に、現代における抵抗を模索する重要な手がかりがあるとわたしは考えている。この本が現代を生きるセックスワーカー非正規労働者たちが状況改善を模索するなかで、行動のためのひとつの手がかりになれば幸いである」という結びのことばにある。(伍賀偕子)