エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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戦後日本の教職員組合と社会・文化(その5)

 本書は科研費プロジェクトの成果として公刊されている報告書シリーズの5冊目にあたります。まず目次を見てみましょう。

第1章 日本教職員組合の大会・中央委員会における議事運営の仕組みの考察 ―1949~70年代について  広田照幸
第2章 豊中市の教職員の意見表明権獲得のプロセスに関する研究 ―学閥弱体化/管理職権威形骸化/職場の民主化/障害児教育等の推進  二見妙子
第3章 国連障害者権利条約と全国強権第14分科会 ―日本政府批准前後の『日本の教育』の分析を中心に―  澤田誠二
第4章 教員の授業準備の時間の現状と過去との比較 ―真の教育改革のために必要なこと― 廣田英樹
第5章(史料紹介) 日教組結成以前の教員組合運動史料 日本教育新聞抜粋  染谷幹夫
第6章(史料紹介) 日本教職員組合の平和運動に関する史料(1) ―1949年~1950年1月まで―  布村育子
第7章(史料紹介) 「民主教育確立の方針(案)」の中の倫理綱領  広田照幸
第8章(史料紹介) 伊ヶ崎暁生文書の史料紹介  菅原然子
第9章(史料紹介) 河野康臣文書について
第10章 国民教育研究所はなぜ「国民」/「国民教育」の名を冠したのか ―名称決定の過程、発案者、議論、および名称の意味をめぐって―  桑嶋晋平
第11章(研究ノート) 大学知識人の政治的立ち位置に関する一試論 ―日教組支援者としての大学知識人を中心に―  平塚力

 個人的な関心としては、第1章の「議事運営の仕組み」というタイトルに惹かれました。これは、日教組という大きな組織の意思決定の最高機関である大会、それに次ぐ中央委員会という会議がどのように行われていたのかを考察するものです。会議の歴史とも呼べそうですし、労働組合のフォークロア(民俗学)の一つともみなせます。

 組合の中の人にとっては当たり前の日常でも、今や組織率が18パーセントを割るような時代になっては、「労働組合って毎日なにをしてるの?」「組合の事務所では毎日どんな仕事をしているの? 朝、出勤してきたらタイムカードを通すの?」「お茶くみとか誰がしてるの?してないの?」などなど、些細なことがさっぱりわかりません。専従者のいる組合と、そうでない組合とはまったく様相も異なってくるでしょう。

 本論文は、そんな疑問に答えるような歴史的な資料を使って、会議の様子を再現してみます。会議録(速記録)が後世まで伝わることは少ないのですが、その貴重な速記録を使った分析が行われています。しかし、昔の速記法が用いられているため、解読が必要になりますが、ここでは速記そのものではなく、そこから翻刻されたものを分析素材に使っています。とはいえ、数日にわたる大激論を逐語的に記録した速記録は大部なものであり、読んでいくのも大変な時間を費やします。そして、会議の運営方法についての定めを理解する必要があります。

 大会の議案書や議事録は印刷されて複数部数が残っているとはいえ、その周辺の雑多な、一枚物の手書きの記録などはなかなか残ることがありません。そのうえ、残された議案書などを見ても、実はそれだけではどのように議事が進められたのかはわかりにくいのです。議事運営の方法について定められた規則をじっくり読み解く必要があります。

 「流れがわからないとうまく読み取ることができない。それゆえ、日教組の議案報告資料集や議事録を研究において史料として使いこなすためには、日教組の議事運営の仕組みを理解することが必要である」(p.2)とまとめられています。

 ここでわたしは美川圭『公卿会議 : 論戦する宮廷貴族たち』という中公新書(2018年)を思い出しました。平安貴族たちと日教組の会議を比べるというのもおかしな話かもしれませんが、これはいずれも「会議の歴史」を描いているという共通点があるのです。

 第2章は大阪の日教組役員であった田淵直さんへのインタビューが掲載されています。田淵さんへのインタビューは当館でも2015年~16年にかけて2回行い、その時の様子は「労働史オーラルヒストリー」の成果として動画と文字データを公開しています。この時のインタビュアーは梅崎修(法政大学)、 南雲智映(東海学園大学)、島西智輝(東洋大学)の各氏です(所属は当時)。

労働史オーラルヒストリープロジェクト

 第2章でのインタビューは当館で行われたものとは異なり、豊中市の事例についてのものです。多岐にわたり細かい点まで聞き取りが行われているので、ぜひ原文をお読みください。(谷合佳代子)