『繊維女性労働者の生活記録運動:1950年代サークル運動と若者たちの自己形成』
辻 智子著(北海道大学出版会/2015/A5判508頁)
本書は1950年代の生活記録運動と生活綴り方運動を、繊維女性労働者の生活記録運動と結びつけて展開する。東亜紡績泊工場(三重県)における「生活を記録する会」の活動を舞台に、「書く」という作業を通して自己を対象化し「自己内対話」を重ね、仲間たちと討議し合う過程で「自己改造」を遂げていくさまが、彼女たちのナマの文章・言葉によって検証されている。
出版元の北海道大学出版会による本書の特徴は以下の通りである(本書は「北海道大学学術成果刊行助成」を受けている)。
彼女たちは何を悩み、書き、考えたのか。紡績工場の労働組合文化活動から生まれたサークル「生活を記録する会」に残されたガリ版刷りの文集や通信、メンバーの個人日記やインタビューから、10代、20代の工員たちが、書くことで問題を対象化し、仲間で語り合い、解決していく実践を、社会情勢も踏まえて、具体的・多角的に記述。50年代後半以降の工員たちの人生にも着目する。「母の生き方と自分の生き方」や「仲間のなかの恋愛」「寮自治」「農村に嫁ぐこと」など書くこと・語り合うことで問題にじっくり向き合い、理解と納得を導いてきた女子工員たちの実践の記録。
何よりも読者を惹きこんでいくのは、第1章〜4章において繊維女性労働者・青年労働者によって書かれた圧巻のナマの文章である。「私の家」や「私の母」を語り始めることで、自らが置かれた位置を見つめ、そのつぶやきを仲間たちと共有しあうことによって自己を「対象化」していく。「書く」ことの解放感や喜びを紡ぎ出していく過程を著者は丹念に検証している。
そして、この時代の「綴り方運動」をリードした識者と現場との交流、互いに学び合う展開も興味深い。無着成恭、国分一太郎、鶴見和子、丸岡秀子ら、歴史に名だたる識者たちがどのような姿勢で労働者に接し、どのように語りかけていったか、エンパワーメントしていったかの記述は、日本の社会文化運動形成史の重要な局面を学ぶ豊かな素材を提供している。鶴見和子はそれらの交流を通しての自らの「衝撃」をつぎのように語っている。
「生活者である主婦や働く娘が、自分たちの生活のことを書き始める動機は、今の小説も映画も論文も演説も、職業知識人にまかせておくかぎり、自分たちのものでない、という正しい認識― というよりも、それは、そのことにハラが立つ、という感じとして意識されている― から出発して、だから、自分たちは、自分たちの感じや考え方を、自分たち自身で、書くことによって、うったえたい、という意欲となってあらわれ」たものだと。
東亜紡績泊工場が舞台だが、同時期にたたかわれた近江絹糸の「人権争議」との交流(主として津工場)を通して、主人公らが自らの主張に確信を深めていく展開も、きわめて興味深い。
この生活記録運動を奨励した労働組合についても、50年代の社会情勢の分析と繊維労働運動の変遷 ―当初奨励した労働組合が、企業と一緒に「圧迫」していく― 過程も説得力ある展開がなされている。そしてどのような「圧迫」も労働者の抵抗を根こそぎ摘み取っていくことが出来なかった事実も刻まれている。
さらに、1970年代以降の第二派フェミニズムと50年代の女性運動の「断絶」を強調する立場に対して、著者は50年代の生活記録運動の営みのなかに「女の問題」の発見と探求に通底していくことを見出している。
工場や寮生活、生家の農村の家族の生活等、彼女たちが紡いだ「生活記録」を第1次資料として丹念に刻みつつ、確かな視点の解説で読者に豊かな問題提起をしてくれる得難い歴史書であり、歴史を動かす人々の人間像がいくつも浮かび上がる書である。(伍賀偕子 ごか・ともこ 元「関西女の労働問題研究会」代表)