連載第2回
『斗う友のために』(彦根の詩サークル『熔岩詩人集団』)
1954(昭和29)年6月2日、近江絹糸紡績大阪本社で結成された新労働組合が、前近代的な労務管理に対し、新労働組合の即時承認、拘束八時間労働の確立、仏教の強制反対、信書開封・私物検査即時停止など 22項目を要求し、会社側の拒否後、全繊同盟の指導のもとに無期限ストライキに突入した。6月7日深夜、近江絹糸紡績彦根工場もストライキに突入したが、その直後の6月10日、「熔岩詩人集団」は支援パンフレット「斗う友のために」を印刷し、翌日、彦根工場に差し入れた。一方、6月15日には、「真相発表市民大会」を開催。市民に対しても、争議への支援を呼びかけた(注[1])。
「斗う友のために」は、手書き謄写版印刷の縦25㎝、8pの二つ折パンフレットで、近江絹糸紡績の労働者へのメッセージと詩募集、さらに詩5篇からなる。詩には,他社の紡績女工の労働詩などとともに「みなさん自身の仲間余子敏さんの詩」として「モグラモチの」が紹介されている。なお、余子敏は、当資料の旧蔵者で『熔岩』の同人であった、辻保治の筆名であり、「モグラモチの」の初出は、『熔岩』18号(1954年5月)である。
近江絹糸紡績労働組合員へのメッセージ(下の写真)として、以下のように、争議前から近江絹糸紡績の労働者との交流があったことが、語られている。
「以前から我々の仲間に、諸君の仲間の方々も入っておったのでありますが、会社側のスパイを、門限を恐れ、人を通じて原稿を寄せられ、我々のささやかな雑誌の上でお互いを激し合う方法しかとることができなかったのであります。諸君には詩を作る自由すら与えられていなかった。
今日より諸君は自由に詩を作ることもできる。自由に恋愛を語ることもできる。自由に自己の精神の成長を期することもできる。そして明るい希望を諸君の胸に抱きしめることができる。」
また,「斗いの詩をつくろう」(下の写真)という欄で詩の募集がなされた。 詩による運動の方法論として,詩を読んでもらうのではなく詩を書かせることを指向していた熔岩詩人集団の意志が示されている。
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モグラモチの 余子敏
朝の太陽が
無茶苦茶に眩しいのだ
夜業の疲労が目に集つて
モグラモチの悲しみだ
いつまでだつたか
この輝きに おれ達は憧れを抱いていた
それはのぼつてゆく勢だつたのだ
だが今 その朝の陽に
おれ達はこの様に悲惨じやないか
これから体操をやつて寝るんだ
何もない一日
娼婦と同じように
昼と夜を取りかえた紡績深夜労仂者
オイ
これがおれ達の青春か
こみ上げてくるのは自嘲なのか
(注1) 『熔岩』19(熔岩詩人集団,1954.6.30)pp.24-25,「熔岩詩人集団斗争日記」参照
(エル・ライブラリー特別研究員 下久保 恵子)
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