釧路炭田 炭鉱(ヤマ)と鉄路と

 石川孝織著(釧路市立博物館友の会発行/水公舎/2014年)196頁

 本書は、著者(釧路市博物館学芸員)が北海道新聞(釧路)に、1年半にわたって70回連載した「記憶の一枚『釧路炭田再発見』」をもとに加筆したものである。
70回連載の各回をもとに見開き2頁で、今では希少価値となっている貴重な写真付きで、釧路炭田の炭鉱と鉄道、そこで働く人々の生活の記憶が、息遣いが伝わるような記録として組まれている。
 釧路炭田は他の産炭地と違い、今も石炭が生み出されている。釧路炭田には、太平洋炭砿、雄別炭砿鉄道、明治鉱業の大手だけでなく、中小炭鉱が多く、1957(S32)年には合計27炭鉱があった。今は、太平洋炭砿が日本国内唯一となる坑内掘り炭鉱となり年間50万トンを産している。そして地元出資の「市民炭鉱」「釧路コールマイン」として2002年に再出発している。それだけでなく、ここは「技術の箱庭」として、国(経産省)からの受託で中国やベトナムからの技術移転研修を受け入れている。「日本唯一のヤマには太平洋炭砿創立時からの『進取の気概』が今も脈々と引き継がれている」と。

 巻頭に書かれている推薦文(嶋粼尚子・早稲田大学文学学術院教授)によれば、― 釧路は、石炭産業に関して国内産炭地のなかで傑出した<記録の宝庫>である。炭鉱最盛期には、炭鉱図書館を有し、そして、太平洋炭礦閉山時には、釧路市の主導ですべての関連事物、記憶を記録しようという「炭鉱に生きた人によるヤマの記録つくり」事業が展開された。その成果を含め、現在も、太平洋炭礦資料室や市立図書館の郷土資料室には貴重な資料が集積されている。― と。


 本書の構成は、第1部が「炭鉱と鉄道」第2部が「炭鉱の仕事とくらし」で、付属資料編として「写真で見る炭鉱と鉄路」となっている。この付属の写真集は、付属としてではなく、これだけ単独でもたまらなく見ごたえのあるものだが、全体のルポルタージュによてこそより生き生きと迫ってくるのだろう。
第1部が「鉄道」から入っているのは、「炭鉱は輸送業である」という著者の言葉通りで、かつて産炭地には、港や工業地帯を結ぶ鉄道が張り巡らされており、「石炭は輸送できなくては価値がない」という著者の主張からである。日本唯一の炭鉱鉄道のルポルタージュから始まる。鉄道愛好者である著者の視点がいたる所に活かされており、鉄道マンにはたまらないルポだと思うが、どの頁にもそこで働き、利用した「ひと」の息遣いが登場する。

 第2部の炭鉱の仕事についても、予備知識がなければ難解な専門用語が、登場する「ひと」によって、何となく伝わる気がする「不思議な魅力」に満ちている。
「取材で得た話には無数の『小さな感動』が散りばめられていた。それを『大きな感動』として表現することはできるし、その方が簡単である。しかしそれは安っぽく、取材協力者に対しても読者に対しても不誠実である。『小さな感動』をどれだけ正確に文章にするか、こだわったことの一つである」という著者の姿勢が、この「不思議な魅力」を創り出しているのだろう。

 炭鉱や鉄道で黙々と生き抜いてきたひとりひとりの語りや生きざまに多くの歴史や技術者・労働者魂が凝縮されているが、一人の人間としての軌跡だけでなく、第2部「炭鉱の仕事とくらし」の最終部分には、「太平洋炭鉱主婦会」と「太平洋炭鉱労働組合(上)・(下)」が登場する。主婦会は、伝統ある「炭婦協(日本炭鉱主婦協議会)」の末端組織で、5年間全国の会長を務めた人材も生み出している組織だが、主婦会活動を担った人たちの心意気が淡々と語られている。労働組合についても、過酷な労働と厳しい石炭産業の合理化に対して苦闘の足跡がにじみ出る記述も、最後は「労使交渉は相手があってのこと。誠実な対話ができていたことも、『日本最後のヤマ』となり得た理由だ」と結んでいる。この言葉は登場人物の語りの続きかもしれないが、著者の締めくくりの言葉だと私は受けとめた。(伍賀偕子)

  ※2017年春から夏にかけて、当館と関西大学博物館の連携展として「三池炭鉱閉山20年展」を開催します。本書はその展示にとっても大きな示唆を与えてくれる良書です。(谷合佳代子)

<書誌情報>
書誌詳細と利用状況は下記をクリックしてください。
釧路炭田 炭鉱(ヤマ)と鉄路と