エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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『歴史の暗に埋もれた朝鮮戦争下の清水港・山猫スト』

歴史の暗に埋もれた朝鮮戦争下の清水港・山猫スト

 大庭伸介著. 梁山泊出版部, 2025.6   44p  19cm

 著者・大庭伸介は労働運動史研究者で、1936年浜松市生まれ。労働運動家としての経歴は、1963年に総評(日本労働組合総評議会)の地方オルグ(愛知県・化学産業)に就き、1975年には静岡県労働組合評議会書記として労働運動に邁進したが、1989年総評解散に伴う県評・地区労解体に反対して解雇され、1991年からは全日本建設運輸連帯労働組合静岡県セメント生コン支部および静岡ふれあいユニオン副委員長を歴任した。
 本書の主題である「朝鮮戦争下の清水港・山猫スト」は、1951年4月末の米軍用物資積載船の出港日に、丸一日清水港の荷役業務が完全にストップした史実であり、「山猫スト」の実施主体は「清水一般自由労働組合」である。そして、その史実の掘り起こしは同労組の浅野書記長へのヒアリングに基づいている。

<朝鮮戦争当時の労働運動の対応>
 朝鮮戦争は1950年6月25日に勃発し、日本は直接参戦している。敗戦直後から労働運動をリードしてきた「産別会議」は、レッドパージの嵐の中で凋落しつつあり、朝鮮戦争下と同時に始まった労働強化に対して、「特別手当をよこせ」という経済的要求を掲げている。一方、朝鮮戦争下勃発直後に発足した「総評」は、結成大会で、「北朝鮮の軍事侵略反対、国連軍の警察行動支持」を表明した。

 このような状況下で、全港湾大阪地本(委員長:平井重太郎)が、無期限ストを提起した。きっかけは、大阪港で朝鮮向けの軍用枚米を運んでいた労働者を監視中の米兵がぶん殴って流血の惨事となった事件だが、全国に共同闘争を発した声明により、無期限ストは神戸港や名古屋港に飛び火し、さらに全国の港に拡がった。
 ところが、清水港だけは例外だった。清水港は、「鈴与」という一社が港湾荷役を独占していて、著者によると、「全港湾清水支部は完全な御用組合」だったので、唯一清水港だけが、無期限ストをスルーした。
 朝鮮戦争勃発の前年1949年に、GHQは超緊縮政策の断行を日本政府に迫り、まず、行政機関職員定数法によって、国鉄10万人をはじめ、総計267,300人の官公労働者が解雇された。民間企業でも、少なく見積もっても100万人を越える人員整理が強行された。共産党員とみなされた労働者が狙い撃ちされた(=レッドパージ)。膨大な失業者が一挙に巷にあふれ、政府としても、緊急失業対策事業法を制定し、都道府県に補助金を出して、公共土木事業に失業者を就労させた。
 このような状況下で、共産党静岡県委員会の指揮に基づき、堀勇と青木健次郎(=後に浅野姓)が「失業者の組織化」に着手して結成されたのが、冒頭に述べた「清水一般自由労働組合」であり、この2人が委員長、書記長に就く。ロシア革命の記念日11月7日に約120人でスタートした(1949年)。結成と同時に市役所に押しかけ、「日当を上げろ」をはじめいくつかの要求を突きつけて、成果を獲得した。この成果を組合員だけでなく、契約を結んでいる臨時雇用の労働者にも平等に分割した。また、年末には「餅代よこせ」の集団行動を重ね、大晦日に総額10万円の越年資金を獲得し、下積み労働者も含めて平等に分割して、信頼を重ねた。闘いは静岡県庁も包囲した。この間、2人は共産党の関係において、除名処分などのギクシャクがあったようだが、ここでは割愛する。全国の港で、「朝鮮戦争反対」のストが行われているのに、清水港だけ何もしないのはおかしいと2人は組合員に話しかけ、行動を呼びかけるチラシを5回ほど配った。1951年4月末、米軍用の物資を積み込んだ船の出港予定日の朝、15人ほどの力持ちの労働者がそれぞれの個人的口実で仕事を休み、下積みの労働者もそれにならってサボタージュして、丸一日清水港の荷役業務がストップして、「山猫スト」となった。堀委員長ともう一人が逮捕されたが、ストライキ扇動の物的証拠がなく、短期間で釈放された。
(3年後の1954年3月1日に清水港の入口の三保の海に、堀委員長の水死体が発見されたが、真相は暗に葬り去られたままである)

<「山猫スト」を成功に導いた力の源泉>
 著者は、この「山猫スト成功の源泉」を次のように分析している。
 第1に、自由労組の姿勢が下積労働者の圧倒的な支持を獲得していたこと。第2の勝因は、上からの指令ではなく、闘い方をすべて仲間たちの話し合いの中で決め、自分たちの発意にもとづいて闘いを組織したこと、と。
 そして、いまや「戦争する国」へと変貌した日本にとって、「戦争突入を阻止する態勢」を構築するには、労働者大衆がそれぞれの持ち場で体を張って実力行動を展開することが何よりも求められていると訴え、この記録が役立つことを祈念している。

         伍賀 偕子(ごか ともこ)