『次代を紡ぐ 聞き書き−働く女性の戦後史』


 本書は、敗戦から1960年代に京阪神で活躍した女性労働運動リーダー30名の聞き書き
 聞き手と執筆は、現役の女性活動家もしくは、かつて労組婦人部活動を担った人たち。
 1989年大阪総評解散時に、『はたらく女たちの歩み・大阪39年― 大阪総評婦人運動年表』を委託編纂した当研究会が、「たった1行に凝縮される出来事の裏に数知れない女性たちの汗と涙の努力が積み重ねられていることを感じ」「先輩たちの記憶が鮮明で資料が散逸しまわない間に」とあたためていた企画。それが一挙に具体化したのは、1994年秋のドーンセンター(大阪府立女性総合センター)オープン時のことである。オープンに際して、その情報ライブラリーに、「地元で掘り起こしたオリジナル資料」を揃えるべきだと主張し、第1回大阪府女性基金を受けて、1年以内という制約の中で集団作業を成し遂げた。
 「出版に寄せて」で竹中恵美子・大阪市大名誉教授と女性史研究家の鈴木裕子さんが書かれているように、敗戦直後から職場で道をきり拓いてきた女性たちの躍動が伝わる、先輩から現役の運動家たちへと語り継がれる熱いメッセージである。
 本書は、第1章「法の下の解放と女性たちの人間宣言」(9名)/第2章「総評婦人運動と女たちの共同行動のひろがり」(8名)/第3章「働き続けられる条件を築く運動・あの日あの時」(13名)の3部構成。各章前文に、時代背景と全体的な社会労働運動が10頁以下に簡略に記述されて、巻末の年表「はたらく女たちの歩み」を重ねると、点を面として捉えやすくなっており、語り手の豊かな経験とで、立体的な描きとなっている。
 男性中心の労働組合史にはほとんど登場しない貴重な証言集でもある。これだけの人々がバラバラではなく、編纂者である当研究会会員・現役女性活動家とずっと繋がっている、大阪の女性労働運動の厚みが感じられる。
 30人のうちの何人かをアップしてみる(この聞き書き後に他界されて、貴重な資料となっているのもある)。―
桂あや子:大阪でトップをきった労働組合(=大阪交通労組)結成に参画し、初の執行委員・婦人部長に。戦中男に代わって市バス運転手をしていたが、兵士が帰ってきて女が「辞表」を強制されながらも、婦人部の力で女の職場を守りきったことが一番誇りとすること。
飯田好子:私鉄労組で、2・1ストからレッドパージの時代を経て定年まで組合役員と職場を両立させた。1960年には、コペンハーゲンで開かれた国際婦人デー50周年記念集会に代表派遣され、社会主義ソ連との交流、インド訪問と国際的な視野を身につける。
小林美代子:“オフィスガール初の争議”と言われた日本生命争議をたたかい、嫌がらせや不当な配置転換には、「婦人部」の力を発揮。1946年6月に結成された「勤労婦人連盟」の提唱者にもなる。総同盟や産別、日労会議の上部組織の枠を超え、女性団体も含めたこの共同戦線は、歴史的にも貴重な証言。
丸沢美千代:占領軍GHQの労組婦人部廃止提案に対し、「婦人部が廃止されたら、一番下積みのものを切り捨てることになる」と直接GHQにかけあい、「二重権行使」という廃止理由を崩す選挙方法を考え、「組合婦人部」の組織を守り抜いた国労婦人部長。強大な権力GHQに絶対服従という当時の風潮の中でもひるまず、柔軟に粘り強くわたりあった。
田中一子:大阪総評婦人部結成時のこと。
安家周子:総同盟婦人部結成時のこと。
松田博子:賃金差別是正の原資をベースアップの原資と別枠で獲得して、3年がかりで是正をしたら、守衛や掃除の“下積み”の業務の男性からも「婦人部」が感謝されたと言う金属職場の婦人部長。全国の単組に婦人部結成を呼びかけ、全国金属中央の婦人部長に。
石田マツエ、笠川フミ現業差別とのたたかい。
玉川静子:失対事業職場のたたかい。
原田千鶴泉州の繊維職場の組合結成。
木村スミエ、氷見雪江:電話の自動ダイヤル化で約2万人が職場を失う大合理化に対するたたかいで、全逓の“居残り闘争”を現場でたたかい抜いた2人の女性の証言。交換台の応答がなくなっても1年近く局内で待機するという、一人一人の強い意志と組合への信頼に基づく戦術である。定年で辞めるまで、「全逓組合員でいたことに誇りをもっています」と。
松葉頴子、柏谷満子ほか全電通の育児休職の提案から実現までを全電通近畿の女性リーダーたちの証言で追う。この証言は、後にいくつかの著書で引用されている。(伍賀偕子)

<書誌情報>
次代を紡ぐ:聞き書き働く女性の戦後史 / 関西女の労働問題研究会編著 1994年 耕文社