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『自由と解放へのあゆみ:松本員枝聞き書き』

次代を紡ぐ伝記資料紹介

                  
 本書は、大阪の草の根市民運動の「草分け的存在」として広く人々に敬愛されてきた、松本員枝(かずえ)(1889.9.26-1990.8.31)の、喜寿(77歳)の記念に行なった「聞き書き」をベースに作成され、80歳時に出版されている。
 松本員枝聞き書きの会のメンバーは、飯田しづえ、伍賀偕子、十場祥恵、藤田寿、古川たま、村尾澄子の6名で、ジャーナリストの南部ひろが協力している。戦前・戦後を通じての松本自身のひたむきで筋の通った生きざまが心を打つとともに、戦前から、大阪でどのような人々が社会を変えるためにたたかい、結び合ってきたかが学べる。出版によせて、佐多稲子山本安英、村山リウらが語る松本の人柄は、味わい深く、示唆に富み、詩人の佐藤さち子、港野喜代子が松本を語る詩も魅力的である。

 本文は5つの章からなり、第一章は日本初の「農薬裁判」で始まり、終章も農薬裁判で括っている。この裁判は、1967年7月に松本の生家を継いでいる甥夫婦の長男松本悟(18歳)がみかん村で農薬ニッソールにより急性中毒死したことに始まる。会社への問い質しの中で、中和解毒剤もまだ開発されてないまま野放しになっていた事実が明らかになり、松本の怒りは、亀田得治参議院議員をして法務委員会での責任追及となったが、傍聴席の松本は「みかん山の百姓は、毒を消す薬もない農薬を使わされてきたのか!」と驚くとともに、自分自身が支援している「水俣」がわがみかん村にもあったことに気づかされた。「2人目の悟」を出さないためには、両親が裁判にたちあがるよう説得しなければならなかった。会社だけでなく、お上(国)をも告訴することに、保守色の強い村人たちの中で板ばさみになる甥武・エツ子夫婦、とりわけ、同じ女性の立場から母エツ子を疎外しないで、決意を促す。村の一軒一軒を回って裁判の意義を語りかける行為は、松本が生きてきた人生の価値観そのものを問うものであり、第一章の見出しの通り「運動への問いなおし」だった。そして、第五章の括りは「未来への責任」「人を侵さない思想」(裁判は、大阪高裁で勝利和解)。
 みかん村の和歌山で生まれ育った松本は、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)に進むが、キリスト教を通して芽生えた「揺れ」から、自分自身に忠実に生きる道を求めて、大学を病気中退。大阪の宣真高女の教員となる。自由な雰囲気の学園だったが、やはり落ち着かず、1928年(29歳)、大阪の社会事業団財団法人弘済会に就職した。この当時、山本安英の舞台に魅了され、1929年新築地劇場大阪後援会に参画する。
 実家では、「社会事業というのは社会主義に近い仕事だ」と反対をされたが、在職中に葛野教聞や社会事業連盟の川上貫一や岩崎盈子(えいこ)を通して社会運動へめざめていく。その思想的過程の語りが、特に岩崎盈子との出会いが印象的である。治安維持法違反で検挙され、1935年に病死した岩崎盈子は、死の直前友人たちの手で出版された評論集『婦人と児童の問題』(1982年日本図書センターより『近代婦人問題名著選集十巻』として復刻版が出された)にみられるように、母性と女性解放について鋭い評論を書いている。また後に、岩崎についての研究も出ており、この聞き書きが参考文献にされている。
 1933年共産党への大弾圧の中で松本も検挙20数日間拘留、1940年には新劇の関係で検挙されたことがさりげなく大阪弁で語られる。
 また、社会事業連盟に参加していた女性たちによる研究会「木曜会」の話も歴史的に貴重である。林歌子・小橋カツエ・三木達子・保良せき・柴原ウラ等の著名な大阪の社会運動家の若かりし姿が登場する。松本は、その事務局の役割を果たしている。
 敗戦を迎えた松本は“遮蔽幕をはずして”、ただちに自由な活動を始める。そのスタートは戦前の「木曜会」を「建設婦人会」に名を改め、「新しい民主主義」の講演会を手はじめに、「関西自由懇話会」で「近代女性講座」を重ね、ここから「大阪の戦後の婦人運動が始まり育っていった」(巻末に大阪の婦人運動年表がまとめられている)。
 その後は「婦人民主クラブ」の活動を中心に、原水爆禁止運動、母親運動、売春防止運動と社会運動に邁進、還暦を迎えてもなお安保闘争、公害問題、消費者運動などに精力的にかかわり、人と人を繋ぐ“脇役”としての生涯を貫いた。「一人の女性が百歩前進するよりも、百人が一歩前へ進む“裾野”の広げ役」に徹した松本の人生の記録は、「松本さん自身の歩みを軸に大阪の無名の女たちが粘り強く築き上げてきた解放の歴史を掘りおこし、受け継いでいかなければならない」と始まった「聞き書きの会」の企図通り、歴史を刻む貴重な記録となっている。(伍賀偕子)

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