元ゼンセン同盟の組織拡大の検証・継承のための3部作

 3人のオルガナイザー(佐藤文男・和田正・二宮誠)のオーラル・ヒストリー
     

 本書発行の意図は、「旧同盟系の産業別労働組合でいえば、ゼンセン同盟と全金同盟がもっとも組織化に熱心」であり、「両組織の代表的なオルガナイザーのオーラルヒストリー(口述史料)の構想を練りはじめて」まとめたと述べられている。組織化のプロセスは、文書にできないことも多く、それゆえ「歴史研究するにあたっては、オーラルヒストリーが不可欠である」としている。
この取組みは、文部科学省科学研究費補助金の助成を受けているが、その課題名「戦後日本の中小企業における労使交渉の制度化 ― オーラルヒストリーによる検証の試み」とされており、この課題名が、本書の歴史的意義を如実に表している。
3部作のインタビュアーおよびオーラルのまとめは、梅崎修(法制大学キャリアデザイン学部准教授)、島西智輝(立教大学経済学部助教)、南雲智映(連合総合生活開発研究所研究員)の3氏による。

< 佐藤文男=元ゼンセン同盟組織行動部門長のオーラル・ヒストリー >
インタビュー実施時期=2008年10月〜2009年6月 全10回
 1925年山形県南陽町に生まれた。戦後シベリアに抑留された後、帰国してすぐに、東洋紡労組の役員に就任し、1954(昭29)年以降、全繊同盟のオルグとして、ゼンセン同盟の組織拡大をささえてきた「歴史の語り部」。ゼンセンの単組、県支部(静岡)、中央本部の労働運動を通して、「伝説のオルガナイザー」と語り継がれるほどに、数多くの組織化を手がけた。
 最初のライフヒストリーで、衝撃的なのは、駅長をしていた父親が「終戦と同時に割腹自殺」をしているが、本人はシベリア抑留中から帰国してしばらくたって、当時の新聞を見てはじめてその事実を知る。「俺は親父の血を継いでいる気がする」と語っている。
戦時から東洋紡に入社していて、東洋紡の産業報告会の話も述べられている。シベリアから復員して、東洋紡労組の役員から、労働組合運動に関わる。
 証言記録に現われる数々の中小・零細、および大手企業の労使関係を読み込み、実際のオルグ活動、労使交渉、争議指導などの具体的な手法の口述は、日本の労使関係研究にとって、貴重な史料となるであろう。
また、今日非正規労働の組織化が大きな課題であるが、ゼンセン同盟がパートタイマー組織化を打ち出した時の問題意識や実際の組織化の実相もリアルに述べられている。

 <和田正=元ゼンセン同盟東京都支部長・初代連合東京会長のオーラル・ヒストリー >
インタビュー実施時期=2009年11月〜2010年3月 全5回
 1934年新潟県燕市に生まれた。1960年26歳で全繊同盟に入局し、新潟県支部常任に就任。ゼンセン同盟会長の芦田甚之助氏の新潟支部長時代に、幼馴染の縁で誘われて、
中学教員を辞めてゼンセン労働運動に携わる。60年安保や三井三池争議の山場という「政治の季節」に就任し、民社党結成にも「顔出し」している。1969年には中央オルグとなり、1973年に京都支部長、1978年に本部常任執行委員(組織担当)、1980年東京支部長を経て、1989年連合東京初代会長となり、労線統一の「キーマン」として活躍。定年退職後、連合組織局中央アドバイザーに就いて、後進の指導にあたっている。
9年間の新潟時代は、地場産業の産地ぐるみの中小組合の経験が、その後のオルグ活動に「大きくプラスに」なった。先の佐藤文男氏の信頼厚く、彼のもとで共に活動し、また後任の職務に就いている。その意味で、前者のオーラルヒストリーと補完しあっているとも言える。
繊維産業を組織化していた全繊同盟は、産業構造の変化の中で大きく組合員数が減少し、
「打開策」として、新しい成長産業=流通産業の組織化に転換する。彼は、このスタート段階での最前線オルグであった。大手スーパー(ヨーカドー、ナガサキヤ、ジャスコなど)の組織過程と人材づくりの手法が如実に語られており、また、経営側の動きも興味深い。
 東京支部長から、連合東京の初代会長に就く過程では、労線統一が地方ではどのように展開されたか、前段の政策推進労組会議の東京の実態等の口述も史料として貴重である。

<二宮誠=UIゼンセン同盟元組織局長・現東京都支部長のオーラル・ヒストリー >
 インタビュー実施時期=2010年9月〜2011年2月 全6回
1949年大分県大分市に生まれる。拓殖大学時代に、堅山忠利教授の影響を受け、民社党系の人脈に繋がっていた。1972年に全繊同盟に入局し、福井支部常任、愛知県支部常任、鹿児島県支部長歴任後、1988年に全国オルグとなり、組織局長、副書記長に就任し、2006年東京都支部長、連合東京副会長に就き、現在に至っている。
先の2人のオルグの次世代にあたる。各県支部時代の組織化も精力的に従事してきたが、特に本部時代(全国オルグ、組織局長、副書記長時代)の実績がめざましいとされている。
冒頭に「インタビュー余話」として語られている2つの話は、分厚いヒアリング記録に読者を引き込んでいく。
一つは、1974年のオイルショック以降に労働運動に身をおいた者と、その以前に身をおいた者とに、「大きな差がある」。急激な経済の冷え込み、繊維不況・企業倒産の多発、経営者の夜逃げ、裏会社の人間との渡り合いなど、ひと言でいうと、「運動に対する腹の据え方」が違う。二つは、ストライキについて。一番多くストライキを指導・実施したのは、ゼンセン石川県支部長で、次が私で、50組合、延べ80回程度。この30年ストライキが実施されていないのは(この10年では一桁)ストライキ指導の経験者がいなくなっているということである。「いつの世でも、労働組合の伝家の宝刀はストライキである」と。
 自ら関った組織拡大としては、1)スーパー、家電専門店、2)医療事務、3)外食・居酒屋、4)介護業界、5)遊戯業界、6)派遣業界の順で括られている。それぞれの分野毎に、興味深い手法が口述されており、史料価値が高い。
 また、「労働組合法第18条の拡張適用」の運動の実績も、地域労働運動の牽引役として
歴史的意味が大きい。労組法18条(同一地域に従事する同種の労働者の大部分が、同じ労働協約を適用される状況に至った場合は、その地域の同種の労働者すべてに対してその内容を適用させることができる)の拡張適用例はヨーロッパ諸国では多いが、日本では、8件しか実現していない。その内の1件が、二宮氏が指導した愛知県尾張地域の繊維・糸染め労働者の休日に関する事例であり、その過程も詳述されている。未組織・非正規労働者がますます増加していく今日、この運動の意義は一つの方向性を示唆していると言える。(伍賀偕子)