エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

ブログ記事の引用転載を希望される方は、https://l-library.hatenablog.com/about をご確認ください

宮城・福島の旅(3)

 9月13日(火)、仙台の朝は何事もなく無事明けました。5月に東京→東北へ行った折には福島で震度4、東京で震度2(実感としては震度3以上)を経験して怖い思いをしたのですが、今回は地震に遭うことがありませんでした。
 この日の午前中は仙台市太白区にある長町病院を訪ねました。ここは財団法人宮城厚生協会が運営する、ベッド数144床の病院です。なぜ長町病院を訪ねたかといえば、Twitterを通じて知り合った病院図書室のサーチャー寺沢基子さんから、昨夏エル・ライブラリーにバザー用の古本などを寄付していただいていたからです。
長町病院は1949年以来、

  • すべての人が人間として尊重される医療と福祉を!
  • すべての人が“安心して住み続けられるまち”を!
  • 地域の方々や患者様と一緒に目指していきたい

を目標に掲げ、地域医療に貢献されてきたところです。
今回は、ご支援のお礼に一言だけでもご挨拶をと思ってお訪ねしました。震災前に知り合った東北地方のライブラリアンの様子が気になって、3.11以後、どのようなツイート(つぶやき。日々の行動や思考を140字以内に投稿する、日記のようなもの)が投稿されるか注視していましたが、寺沢さんのツイートは地震の直後に「ぶじです。」という投稿をされたまま、暫く音沙汰がなかったので随分心配しました。その後、お怪我もなく無事なご様子がわかって安堵しました。しかし、図書室は震災で大きな被害を受け、建物は取り壊されることに。

 さて、最寄り駅についた谷合は、相変わらず地図が読めない女。やっぱりさんざん迷い、通りかかったバスの車庫で係員に道を訊き、やっとたどり着きました。長町病院は元々の建物が建て替え中で、現在は別棟にぎゅうぎゅう詰めになって開院している状態なので、1階の受付は患者さんでごった返していました。受付で来訪を告げると、小柄な女性が奥から現れ、やや緊張した面持ちで患者さんたちの間をすり抜けてこちらに来られます。何しろ初対面ですから、お互いに相手を探しながら、「寺沢さんですか?」「あ、エル・ライブラリーの?」とおそるおそる声をかけあい、求める相手だと認めるとたちまち破顔に。
 今年の10月で定年退職を迎えるという寺沢さんは、病院サーチャーのベテランです。図書室の被害状況などを写真とともに説明してくださいました。こちらの図書室は職員向けのものであり、従って医学系の雑誌が蔵書の中心になります。
 震災当日、上の写真の3階にあった図書室内におられた寺沢さんは、激しい揺れに見舞われ、室内の書架が全部自分に向かって倒れてくるのをなすすべなく見ていたとのこと。幸い、書架とご自身の身体の間に机があったため、書架が机で止められたのでケガをせずにすみました。ところが、天井の配管が壊れ、室内は水浸しに。本はもちろん、自分の身体も全身濡れ鼠ですが、問題はドアが壊れて外に出られなかったことです。病院ですから、安否確認はまずは患者さんから。職員点呼の結果、寺沢さんが行方不明と判明して救出されたのは数時間後でした。そのときは靴も無くなり、財布も部屋に置いたまま、着る服もなく手術着をまとって一晩病院で立ち働いていたそうです。暫くは図書室の運営どころではなく、患者さんの安否確認等の仕事に忙殺されていたとのことです。

 そんなこんなで図書室のあった棟は取り壊しとなり、病院は大損害を被りました。現在、図書室は仮設事務所の一角を借りて運営中ですが、改築計画の中にどれだけ図書室を確保できるかは未定とのこと。「長町病院友の会」などでは病院復興の為の寄付を募っています。下の写真は友の会事務所の入り口です。病院の前にあります。谷合もわずかですが寄付してきました。 

 saveMLAKの活動はとかく公共図書館大学図書館に向きがちで、この病院図書室のような企業・団体内図書館(=専門図書館)への支援は見落とされています。どうしても親組織全体の復興計画の中に埋もれてしまい、図書館再建のための募金活動などが行いにくい状況にあります。saveMLAKの活動にとってこのような図書室の支援がどのようにありえるのかを考えるのも課題の一つだと思いました。

 長い職業生活の最後の年に震災に遭われた寺沢さんは、今月で退職されます。災害は忘れられない記憶であったことと思いますが、同時に人と人の繋がりや絆も強く感じられたとのこと。ランチをご一緒して駅でお別れしましたが、わたしの姿が見えなくなるまで改札口でずっと何度も頭を下げて別れを惜しんで下さった小柄なお姿が目に焼き付いています。これが一期一会の出会いであったとしても、支援の輪はめぐりめぐって、支え合う社会を築く一助となるに違いありません。寺沢さんからたくさんのお土産を頂戴して多くなった荷物の重さも、その重さの分だけありがたさで胸が一杯になりながら仙台を後にしたのでありました(続く)。(谷合)