エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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所蔵資料紹介~辻󠄀保治資料(近江絹糸紡績労働組合関係資料)

連載第6回『ラクガキ運動のために』 (ラクガキ班編集 彦根支部教文部1956年) 

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 らくがき運動を通じ、各職場で大量に出てきた表現物で本に掲載し切れなかったものを職場文集などの発行により、自分たちで発表していこうという試みが出てきた。その中で、らくがき運動を労働運動の戦略として明確に位置づけ、そのツールとして準備・発行されたのが職場新聞であり、その仕掛け人が当時、彦根支部教文部長であった辻󠄀氏であった。

 当時、辻󠄀氏が中心となって、彦根支部教文部はらくがき運動の発展の理論的支柱となる「ラクガキ運動のために」という冊子を発行している。下図は、この冊子からの抜粋であり、当時、辻󠄀氏が進めようとした運動の方向が示されている。

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 「らくがき運動」で掘り起こした労働者の不満を職場新聞の編集・発行によって共同化し、職場単位の要求闘争に発展させる。同時に合唱、文芸、演芸等のサークル活動・表現活動もこの一環として位置づけられていることがわかる。

 近江絹糸彦根工場で最も早く発行された職場新聞は、『蛹粉の中で』(絹紡製綿、1956年2月)、『ほのお』(絹紡ガス焼き、同)である。その後、1956年中に、『ぼこぼこ』(綿・スフ紡精紡、7月)、『晒練耺場新聞』(絹紡晒練、8月)、『じんし』(綿・スフ紡仕上、12月)が続いた。劣悪な労働条件により、他の職場の労働者から忌避される職場であり、特殊勤務手当として「絹紡手当」を強く要求していた絹紡3職場で、職場新聞が早期に発行されたことが注目される。

(エル・ライブラリー特別研究員 下久保 恵子) 

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