エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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所蔵資料紹介~辻󠄀保治資料(近江絹糸紡績労働組合関係資料)

連載第21回 職場新聞(14)男と女 その1

 職場新聞は、ラクガキ帳に自由に書かれた内容を編集したものである。従って、今まで紹介してきたような職場の仕事の様子や労働者としての課題・要求のようなものの他に、日常生活についての、小さな呟きや悩みのようなものが、そのまま掲載されている。今回からしばらく、そのような彼女、彼らの生の声に触れてみたい。

 人権争議前の近江絹糸では、男女間の交流は厳しく制限されていた。

「―‥‥男子と女子の間ではほとんどしゃべったり交流したりとかはなかったのですか。

朝倉 ないです。男子と女子は遮断ですわ。下手に男と女の人がしゃべっとったら徹底的にマークされる。いわゆる男女関係というふうにとられるんです。職場の打ち合わせとか職場の連絡ですらそういうふうにとられたんです。‥‥」

『朝倉克己オーラル・ヒストリー』(注1)より

 

 人権争議終了後、この状況は大きく変化した。組合活動・サークル活動の活発化も相俟って、男女が普通に話したり活動したりできるようになったのである。工員のほとんどは中学校卒業後15歳で就職して故郷を離れ、寄宿舎での集団生活を送る。1957年上期の工員の平均年齢は男21.9歳、女19.8歳、平均勤続年数は男4年7カ月、女4年であるから(注2)、10代後半から20代前半にかけての若い男女の関心事として、当然、職場新聞の記事には恋愛や結婚に関するものが多数掲載されている。 

しかし、1956年2月末の統計(注3)によれば、彦根工場工員(日給者)の在勤者(帰省・病気除く)は、男465人、女1,793人であり、女性の数は男性の数を大きく上回っていた。

「咲かずにシボム 恋の花

私達の職場は、男子がスクナイので、恋愛が出来ない、男子と話する機会が少ないせいかなかなか良い(チャンス)が生れない。とくに後番(注4)など機械の音とホコリに、マミレておわれて仂いている。アゝッーボーイフレンドがほしい。アゝア歌も文句じゃないけれど、咲かずにしぼむ恋の花。」(絹紡製綿『蛹粉の中で』2号3面)

 とは言え、職場で顔をあわせるのだ。片思いの記事も多い。

「きたない職場に恋愛できないやろか

  私はただ一人好きな人がいる、でもこんな作業中をみられたら、どうしよう。

 でもやはりすきです、もうすこし自分でもおしやれしたい、でも職場であんなによごれたら、きれいにしたくてもお金をたくさんつかっても、ちよっとも効果はありません。

 だからきたない所で仂らいても賃金もやすいし、なんも楽しいことないわ。

こんどの賃金斗争に頑張って満足の出る賃金体系をかちとろう(注5)。

今度云子」(絹紡ガス焼『ほのお』6号2面)

 

あの人にホの字‥‥

今日もこんなこと話にきいたけど書こうか書かないかと思ったけれどラクガキだから、何でも書くわ。今日もあの人機械掃除していたわ。通った時てれくさかつた。又一人の友達が〇〇さん今日食事で合ったわと云う。男の人は分らない私はその人にあこがれる。これは片想かしらなんて笑っている」(綿・スフ紡精紡『ぼこぼこ』7号2面)

「アラ あそこにいるわ」

「アノ子か」

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綿・スフ紡精紡『ぼこぼこ』7号2面

 男子の片思いは女子に比べると、理想(妄想?)と現実のギャップが大きい。

「月がとっても青いから遠まわりしてかえろうと云ったら、彼女は、貴男は手癖がわるいからいやよと云った。俺はむかついて足もとにあった石を、足でけとばしたら、あんまりの力で近くでイモを売っているおっさんにあたって、追ひかけて来た。俺は彼女の手を引いて、遠まわりの道を急いだ。後を見たら、もう、おっさんはいない、俺の気持が、おかしくなって、彼女は俺にだきついた。力を入れた時、バリーッと云う音がした。フトンがやぶれている。何んだ‼夢か、チェつまんねえなー

翌朝夢にみた女の所に俺は行った。好きな彼女に夕べのことをどうしても話すことが出来なかった。あとで、ただ、愛の告白できない不愉快さを知って、亜然(ママ)としていた。…」(絹紡晒練『晒練職場新聞』7号4面)

 

一方には、こういう猛者もいる。

「結婚について

年頃に成れば皆結婚と云う二字が頭から離れない事ありませんか?若い人は別として二十才を過ぎると頭を悩ませることでしよう

私は特別かも知れませんが……

簡単に云えばボーイフレンドが二人いる 会社の人 もう一人は故郷の人 二人もよくをすると思われるかも知れないが… 会社の人は五年後に結婚しよう故郷の人は二年後私は思う故郷の人は離れているせいか別に氣にならない だけど便りだけは、うれしくよむ

会社の人は何時も 身近に居るせいか今になって別れてくれとはとても云えない、

その人はもちろん結婚迄考えている

私はどうしたら良いのでしよう

皆様方の良き考えをお聞かせ下さい

編集部より

みんなでこの人の惱みを考えてやって下さいませんか

ラクガキにでもかいて下さい。待っています。」(綿・スフ紡混打綿『ラップ』3号4面)

 

そして、マイペースに開き直っている人も。

「わてにも恋人が!

わてには恋人がいないさかい

はからへん

オレプレゼント

するよりももっか

食いけ」(絹紡ガス焼『ほのお』9号2面)

(注1) 『近江絹糸人権争議オーラル・ヒストリー(3)朝倉克己オーラル・ヒストリー』科研費報告書(2017)50p。

(注2) 梅崎修 ・南雲智映・島西智輝・下久保恵子「「家族賃金」観念の形成過程―近江絹糸人権争議後の交渉を対象に―」(『社会政策』第11巻第3号,2020)掲載の「表3 近江絹糸株式会社工員の平均年齢・勤続年数(1953~57年上期)による。出所は『有価証券報告書』。

(注3)『調査月報 NO.14』(近江絹糸紡績労働組合調査部,1956年2月,辻󠄀保治資料所収)掲載の昭和31年2月度部門別在籍調査表(日給者の部)による。

(注4) 後番は二交替勤務の遅い方の勤務で、時間は午後1時45分~午後10時30分。

(注5) 組合は①年齢給を重点にした、最低生活を保障する賃金体系を②26歳で結婚できる賃金体系を③定期昇給制度を含めた賃金体系を、の三原則を打ち出し、1956年11月、仮妥結した。

(下久保恵子 エル・ライブラリー特別研究員)

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