エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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所蔵資料紹介~辻󠄀保治資料(近江絹糸紡績労働組合関係資料)

連載最終回です! この連載記事は、翻刻と解説をまとめて近々書籍として発刊いたします。

31. 波紋 

 『波紋』は、彦根工場で結成された最初のサークルで、会員45名(注1)を擁した若葉会の会誌である。辻󠄀資料には、1954年10月発行の創刊号から1956年4月発行の第6号までが収められている。

『波紋』創刊号(1954年10月)

 当時、若葉会にかかわった労働者からの聞取り調査によれば、設立の経過は以下のようである。

「‥‥「人生手帖」という雑誌が出ていました。月刊誌で。それをみんななるべく読もうよなんていう形でわっと集まったということですね。それを読むだけじゃなしに、自分たちで書いたものを自分たちで話し合ったらどうなのよということで「波紋」を作ろうよ、そうなったんですね。‥‥」『近江絹糸人権争議オーラル・ヒストリー(1)』(注2)より

 創刊号の発行者は「緑の会近江絹糸支部 若葉会」となっており、この会が、当時、勤労青年を中心に広く読まれていた『人生手帖』の読者グループ「緑の会」の支部であったことがわかる。(注3 )

 また、『波紋』3号の会計報告では、『波紋』作成費、送料の他に講師交通費や他サークルとの連絡費、行事参加費が計上されており、講師を呼んでの会合や工場外サークルとの交流が活発に行われていたことがわかる。

 『波紋』には随筆、日記、詩、短歌、俳句など会員の作品が多く掲載された。人権争議後、間をおかず創刊されたこともあり、創刊号、2号には争議中の様子を書いたと思われる記事も掲載されている。

「(前略)

  月  日

 今日も深く晴れ奥迄見えすく様だ 緊急事態の為ピケを強化す 外出は一応原則として禁示(ママ)に成って居るので男子寮のヘイを超えて琵わ湖に出て三人の友と水泳をやる

今年最初であったので面白く遊んだ 毎日の斗争で身も心も疲れて居る此の頃、何もかも忘れ水で身をひやし、はしやぐのも又楽しく心の休養にも成る 夜はボイラーの所の非常問(ママ)にピケをはる。」(『波紋』2号「争議中の日記」より)

 

 その後も平和祭や全繊青婦の集い(注4)への参加記などの記事が見られ、組合活動との関連が深かったことがうかがわれる。

『波紋』6号(1956年4月)より

 辻󠄀資料所収の若葉会参加者の「日記(書き抜き)」によれば、1956年5月1日、「もう各職場が活発化される時期だし僕たちは職場に入って活動をやる必要がある。したがって若葉はつぶれるのではなく、自主的な話し合いのもとに職場に根をおろす事になりました」という趣旨の声明文を出し、解散したとある。これは、サークル全体が職場単位の活動に収斂しつつあった、当時の近江絹糸彦根工場全体の状況と軌を一にするものと思われる。

(注1)「第一回支部年次大会報告並びに議案書」(1955.7.17)サークル報告による。

(注2)『近江絹糸人権争議オーラル・ヒストリー(1)』科研費報告書(2013)101~102頁

(注3)寺島徳治『サークル運動』(緑の会,1956)所収の「日本の文化運動における緑の会と   

「人生手帖」の意義について」によれば、緑の会は、「文理書院の読者を中心とした有志の会として昭和26年(1951年)に発足し、翌年雑誌「人生手帖」が若い人たちの雑誌として発行されて、それがひろく普及発展するにともなって、「人生手帖」の読者の会となり、新しい会員数も全国的にふえ、全国の市あるいは各地の町村に緑の会(支部)が組織されるにいたった。」とある。『人生手帖』については、福間良明『働く青年と教養の戦後史』(筑摩書房.2017)を参照。

(注4)全国繊維産業労働組合同盟の青年婦人活動の行事。同同盟は、一九四六年、結成された繊維労働組合の全国産業別組織。近江絹糸紡績労働組合の人権争議を支援・指導した(法政大学大原社会問題研究所『労働運動大事典』旬報社,二〇一一,「全繊同盟」の項参照)。

(下久保恵子 エル・ライブラリー特別研究員)

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